2017年7月26日水曜日

金海の竹島倭城写真1914年

金海の竹島倭城(和城)写真


この1914年段階では、頂上部には鮮明に城壁が残存していた。さらに写真左側の斜面が気になるが、今と成っては確認の方法が無い。

2017年7月24日月曜日

中野三敏先生所蔵『僑居日記』佐藤一齋著。

林述斎に関して、ふと思い出したのは、中野先生所蔵『僑居日記』佐藤一齋著。
博多を歩く林述齊の健筆を知る。


2017年7月23日日曜日

2017年7月17日月曜日

大伴坂上郎女が新羅から来訪した尼理願を哀悼する歌

大伴旅人の妹である大伴坂上郎女が、新羅から帰化した尼理願の逝去を悼み、長歌を残している。
*万葉集460番歌
である。大伴安麿宅に居住したという。いかなる関係にあったかは今後の課題。

とはいえ、「理願」とあれば、日本式の名であろう。

2017年7月8日土曜日

小倉文庫蔵中村本朝鮮語学書関係

4346 物名備考 1冊 L174346 中村本にあらず
4697 交隣事考 1冊 L174697 裏表紙「紀元二千五百三十四年明治七年甲戌十一月於草梁公館写 中村庄」
4695 北京路程記 1冊 L174698 序文「于時弘化二年乙已年夏二世大象胥官致遠編」 五丁表、「小田致広記」
4705 古今奇観 1冊 L174705 裏表紙「明治九年丙子一一月中旬於草梁公館写、中村庄次郎」
4706 酉年工夫 1冊 L174706 裏表紙「明治九年九月韓国釜山於草梁項写」
4707 1冊 L174707 中村本 単文集、3丁
4708 1冊 L174708 中村本 数詞、交易品、「自外八物」、「雑種」、「覚」
4711 隣語大方 1冊 L174711 外題「隣語」。内題「隣語大方」。
4712 復文録 2冊 L174712 明治6年11月12日からの日記体
L174713 明治8年
4718 韓語 1冊 L174718 外題「韓語」
5008 倭語類解 1冊 L175008 内題「倭語類解上」
5231 象胥記聞 三冊 L175231~L175233 中村本にあらず

武藤長蔵博士 著作目録(長崎大学作成)

http://www.lb.nagasaki-u.ac.jp/siryo-search/ecolle/muto/hakushi/paperlist.html

 武藤長蔵博士著作目録

本目録は、以下の資料を参考に、追加・修正を行なった。
  1. 武藤教授著作論文目録. 武藤教授在職三十年記念論文集. 長崎高等商業学校研究館; 1937.
  2. 長崎県立長崎図書館編. 郷土関係新聞記事索引. 長崎県立長崎図書館; 1972
  3. 武藤長蔵教授著作目録. 海外文化と長崎. 千倉書房; 1977.

目次

著書(発行年順)

  • 日英交通史(経済学全集,28.世界経済史収録). 改造社. 1933.11
  • A Shory History of Anglo-Japanese Relations, Tokyo, 1936. 北星堂. 1936.6
  • 日英交通史之研究. 内外出版印刷株式会社. 1937.4
  • 日英交通史之研究 改訂増補 第2版. 内外出版印刷株式会社. 1941.1
  • 日英交通史之研究 改訂増補 第3版. 内外出版印刷株式会社. 1942.8
  • 対外交通史論(小泉信三序 山田憲太郎編). 東洋経済新報社. 1943.5
  • 海外文化と長崎(山田憲太郎編). 千倉書房. 1977.4
  • 日英交通史之研究 復刻版. 同朋舎. 1978.8

論文等

(3) 語源および訳語の研究
(2) 邦語の植民なる名辞の由来についての研究
  • 邦語の植民なる名辞は蘭語の訳なりとの説. 国家学会雑誌. 31(12). 1917.12
  • 再び植民なる名辞の由来に就て. 国家学会雑誌. 33(6). 1919.6
  • 植民字考,上. 歴史と地理,植民号. 2(3). 1918.9
(3) その他の語源および訳語の研究
  • tauschen と ta'uschen 及 barter と cheat に就て. 土の鈴. (2). 1920.8
  • パンを蒸餅と和訳せし古き蘭英仏独語辞書. 土の鈴. (17). 1923.2
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(4) 日蘭交通史および蘭書,蘭学の研究

(1) 蘭書の研究
(A) 蘭文簿記書
  • 明治以前我長崎に伝はりし蘭文伊太利簿記書. 長崎高商研究館月報. (6). 1920.11
  • 前号所蔵拙稿「明治以前我長崎に伝はりし蘭文伊太利簿記書」の追録. 長崎高商研究館月報. (7). 1920.12
  • 明治以前長崎に伝はりし蘭文簿記に就て. 国民経済雑誌. 30(1). 1921.1
(B) 蘭文法律書
  • 明治以前我国に伝はりし蘭文法律書. 法律春秋. 3(2). 1928.2
(C) 軍事関係の蘭書
  • 佐賀藩にて購入の軍事関係の蘭書. 福岡日日新聞. 1926.11
(2) シーボルト先生(Dr. Ph. Fr. Von Siebold)に関する研究
  • シーボルト先生略年譜. シーボルト先生渡来百年記念論文集. 1924.4
  • 我国最初の商業学校創立計画者としてのシーボルト先生. シーボルト先生渡来百年記念論文集. 1924.4
  • 我国商業教育とシーボルト. 国民経済雑誌. 36(5). 1924.5
  • Dr.Ph.Fr.Von Siebold und sein erstes Projekt einer Schoule fur Handelswissenschaften in Nagasak Japan. Jubiläumsband Teil 2. 1933
  • シーボルトに就ての三点. 日本医事新報. (660). 1935.4
  • シーボルト大著「日本」に掲ぐる温泉嶽(Wunzentake)の絵は谷文晁画くところの雲仙岳によりしもののなることの考証. 長崎談叢. (13). 1933.9
  • 日欧交通史に関する文献としてのシーボルトの著述. 日獨文化講演集(シーボルト記念号). (9). 1935.10
  • シーボルト先生と和蘭総理大臣トールベツケ(外交家としてのシーボルト先生の一面). 科学ペン. 三省堂. . 1937.10
  • 西暦千八百六十二年(我文久二年)長崎出島の和蘭印刷所(Ter Nederlandsche Drukkerije,Imprimierie Nederlandaise)刊行。Pr.F.deシーボルト氏蔵書目録「特に(1)政冶・経済・農業・工芸・技術・商業(2)太平洋・インドシナ・日本諸国航海記及それら地方事情に関する文献に就て(未完,絶筆)」. 上田貞次郎博士記念論文集第2巻 経済の歴史と理論. 1942
  • シーボルト先生渡来百年の日を迎えて(1-2) シーボルト先生長崎の第一印象など. 長崎新聞. 1923.8.11-12
  • シーボルト先生誕生記念の日に 医学博士呉秀三先生著「シーボルト先生其の生涯及功業」の紹介など. 長崎新聞. 1926.2.19
  • シーボルトの偉大さ 経済,哲学まで手を拡げたシーボルトについて. 長崎日日新聞. 1941.10.17

(5) 日葡交通史の研究(附,キリシタン史および日西交通史)

  • 慶長十四年長崎に渡来せる葡萄牙船とその大砲. 史学雑誌. 30(12). 1928.12
  • 慶長十四年に長崎に渡来せる葡船Mader de Deosとその大砲. 日葡協会編,日葡交通 第1輯. 1929
  • 西暦1647年長崎に渡来の葡国使節に関する肥後細川家所蔵「正保黒船来朝記」. 史学. 12(2). 1933.5
  • 正保四年長崎に渡来の葡国使節をのせたる南蛮船に関する肥前大村家文書. 史学. 12(4). 1933.12
  • 日支吉利支丹史料比較の必要. 長崎談叢. (1). 1928.5
  • 日西交通上の長崎県(1-13). 長崎新聞. 1930.12.27-1931.1.18
  • 貞享二年漂民送還葡船長崎入津に関する大村家文書. 商業と経済. 20年(1). 1939.11
  • (貞享二年漂民送還)誤植訂正並に追録,正保四年五月葡萄牙国より使節来朝記. 商業と経済. 20年(2). 1940.3
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(6) 日露交通史

  • ゴンチャロフ著「フレガツトパルラダ」中の一節. 商業と経済. 6(2). 1925.3
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(7) 日中交通史および中国通商史の研究

  • 文久二年の官船第一次上海派遣と文久三年~元治元年の上海第二次派遣に関する史料に就て. 商業と経済. 5(2). 1925.2
  • 元冶元年上海派遣官船、健順丸に関する長崎側の史料. 商業と経済. 6(1). 1925.12
  • 元冶元年上海派遣官船、健順丸に関し石渡博士提供の史料. 商業と経済. 6(1). 1927.11
  • 広東十三行図説. 東亜経済研究. (15周年記念号). 1931.4
  • 旧き上海黄浦江岸の油絵解説. 長崎と上海 : 日華聨絡記念. 1923.6
  • 錦絵、唐船入津の図、解説. 長崎と上海 : 日華聨絡記念. 1923.6
  • 江芸閣及ズーフの楽翁公五十の加詞. 蘇峰先生古稀祝賀記念刊行会編, 蘇峰先生古稀祝賀知友新稿. 1931.11
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(8) 日英交通史の研究

  • 日英交通史概観. 朝日新聞社編, 開国文化. 1929.11
  • 日英交通史料(1). 商業と経済. 9(1). 1928.11
  • 日英交通史料(2). 商業と経済. 9(2). 1929.3
  • 日英交通史料(3). 商業と経済. 10(1). 1929.7
  • 日英交通史料(4). 商業と経済. 10(2). 1930.2
  • 日英交通史料(5). 商業と経済. 11(1). 1930.11
  • 日英交通史料(6). 商業と経済. 11(2). 1931.3
  • 日英交通史料(7). 商業と経済. 12(1). 1931.8
  • 日英交通史料(8). 商業と経済. 12(2). 1932.2
  • 日英交通史料(9). 商業と経済. 13(1). 1932.7
  • 日英交通史料(10). 商業と経済. 13(2). 1933.3
  • 日英交通史料(11). 商業と経済. 14(1). 1933.8
  • 日英交通史料(12). 商業と経済. 14(2). 1934.3
  • 日英交通史料(13). 商業と経済. 15(1). 1934.9
  • 日英交通史料(14). 商業と経済. 15(2). 1935.3
  • 日英交通史料(15). 商業と経済. 16(2). 1936.3
  • 日英交通史料(16). 商業と経済. 17(1). 1936.9
  • 初期日英交通史の重要文献. 河津教授還暦祝賀記念経済学の諸問題. 1935
  • 旧(ロンドン)東印度会社と我国との交通貿易(ジョン・ブルース著東印度会社年代記). 商業と経済. 16(1). 1935.10
  • 旧(ロンドン)東印度会社と我国との交通貿易(ジョン・ブルース著東印度会社年代記) 再論. 商業と経済. 16(2). 1936.3
  • 慶長十八年英国通商朱印状の研究(Saris, Peditionの標本(Mdel)としての英国対Su-matraのAcheenとの条約). 社会経済史学. 6(10). 1937.12
  • 日英交通の研究に貢献せし幕末及明治時代の日英交通史上の三英国外交官. 加藤玄智編. 日本文化史論纂. 中文館. 1937.11
  • 英艦イカルス号事件、及イカルス号航海記. 長崎談叢. (21). 1937.12
  • 長崎県対外史料文献考. 全国高等諸学校図書館協議会、第14回大会、講演. 1938.7
  • 日葡、日西、日蘭及日英交通史の若干問題. 時局關係國際法外交論文集 : 中村進午博士追悼記念. 1940.6
  • 長崎出島和蘭商館長の風説書、自弘化四年丁未(1847)至安政四年丁巳(1857). 商業と経済. 22(2). 1942.2
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(12) 長崎および長崎県,郷土史の研究

  • 改造社版 日本地理大系 九州篇(1.昔の長崎地図 2.平戸幸橋 3.英国商館遺跡の碑 4.日蘭親交記念碑  5.昔の長崎地図 6.シーボルト在留当時の長崎港 7.長崎出島蘭館内蘭人饗宴の図(川原慶賀筆) 8.長崎唐館役所の銭札  9.長崎市街交易の図 10.南蛮屏風 11.長崎西役所および波止場の図等の解説)
  • 長崎の寺町. 社会経済史学. 3(11). 1934.3
  • 序. 増田廉吉氏編輯, 長崎南蛮唐紅毛史蹟第二輯. 1928.12
  • 序. 仁尾環氏著, 天草島原支丹一揆史談. 1935.6
  • 序文. 山口晴耕氏著,歌集,雲仙. 1931.1
  • 序. 井手伝次郎氏編,写真画集,長崎. 1927.5
  • 西洋音楽と長崎(上、下) 西洋音楽と長崎の歴史的関係. 長崎新聞. 1923.5.1-2
  • 天保年間の死体解剖 天保15.3.13島原の御典医市川子堅がおこなった死体解剖図. 長崎新聞. 1926.7.29
  • 英艦グローブ号 我が国に初渡来したグローブ号について. 長崎新聞. 1927.5.29
  • 午の年と長崎(1-3) 明治最初の午の年長崎における新年祝賀並に明治天皇御誕辰祝賀会. 長崎新聞. 1930.1.7-9
  • 愛八を偲ぶ座談会(1-22) 長崎新聞にて12月23日開催す.出席者,丹羽翰山,古賀十二郎,武藤長蔵,鈴木聞一,壺田槐堂,増田廉吉,外数名. 長崎新聞. 1935.1.12-2.2
  • 永山時英氏の功績を讃ふ 永山氏危篤の報に接し武藤教授の談話. 長崎新聞. 1935.2.7
  • 長崎に於ける西洋音楽伝来史料 諏訪神事の紅毛楽器,セロ,について. 長崎日日新聞. 1927.11.16
  • 長崎高商創立30周年を迎えての感想 同校教授の談話. 長崎日日新聞. 1935.10.17
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(15) 雑

  • 東海道五十三次の佐屋廻海路をいとふて陸路開けた佐屋路. 長崎新聞. 1924.6.23
  • 新聞紙考. 東洋日の出新聞七千号記念. 1924.8.13
  • 故平野松次郎君を憶ふ. 同窓会誌. (8). 1918.9
  • 沼南島田先生を憶ふ(談話). 長崎新聞. 1923.11.18
  • 五月. 長崎高商学友会雑誌. (31). 1921.7
  • 鷗外先生との対談. 文学 (特集鴎外研究). 4(6). 1922.10
  • お蝶夫人と長崎(1)(2)(3)(4). 長崎新聞. 1922.7
  • 神父ビリオン. 長崎日日新聞. 1924.1.6
  • 学友会雑誌昭和四,巳巳年,新春号によする言葉. 長崎高商学友会雑誌. (56). 1929
  • 巻頭の辞. 長崎高商学友会雑誌. (63). 1930.12
  • 松永さんの歴史趣味. 松永安左衛門氏還暦記念文集(追悼録). . 1936.1(1973.6)
  • 浜田耕作博士の追憶. 京都帝国大学文学部考古学教室編纂, 濱田先生追憶録. 1939.10
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(16) 史学講演

  • 史学会第32回(昭和6年度)大会国史部会報告(日蘭および日英交通史上の英艦フェートン号事件とくにその艦長Fleetwood Broughton Reynold Pellew)について. 史学雑誌. 42(7). 1931.7
  • 史学会第34回(昭和8年度)大会国史部会報告(延宝元年長崎に入港の英船Returnとその絵図). 史学雑誌. 44(7). 1933.7
  • 同(寛文13年長崎入港の英船レターン号とその絵図). 史学雑誌. 45(7). 1934.7
  • 史学会第36回大会国史部会報告(17世紀初葉,日英交通史料に現れたる証券および商業帳簿). 史学雑誌. 46(7). 1935.7
  • 史学会第38回大会国史部会報告(英艦イカルス号事件およびイカルス号航海記). 史学雑誌. 48(8). 1937.8
  • 史学会第38回大会西洋史部会報告(ロンドン東印度会社研究の重要性). 史学雑誌. 48(8). 1937.8
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最終更新日:2016.8.5


江戸時代の語学の天才たち

僭越ながら、愚見に寄れば、次のranking。

(1)馬場佐十郎
(2)吉雄権之助--吉雄耕牛の庶子
(3)本木良永
(4)志筑忠雄

杉田玄白の無知

世の中では、杉田玄白のオランダ語解剖書の翻訳を賞賛する。たしかにその努力は素晴らしいが、ムダな労力ではなかったか。彼が本木良意や楢林鎮山などの当時にあってオランダ語の秀才を知っていたならば、彼等に問い合わせれば良かったからである。本木良意の『和蘭陀全駆内外分合図』(明和9年=1772、解体新書出版の2年前)を参考にしなかったことに、無理があったと言えよう。
ちなみに、『和蘭陀全駆内外分合図』オランダ語版の翻訳、『紅毛外科宗伝』は不乱氏の外科書の翻訳。

杉田玄白の『蘭学事始』を一読すれば、彼の独善を知る。

NHKの記事に「辞書などなかったからです。」とあるのは、失考・


**************


http://www2.nhk.or.jp/school/movie/outline.cgi?das_id=D0005120230_00000

scene 01 『ターヘル・アナトミア』の翻訳

医者であり蘭学者(らんがくしゃ)でもあった杉田玄白は、仲間といっしょにオランダ語の解剖(かいぼう)書を翻訳(ほんやく)して『解体新書』を作りました。その解剖書『ターヘル・アナトミア』という本には、人間の体の中の内臓や筋肉、骨格などがくわしくえがかれていて、玄白たちはおどろきました。医者である玄白も、それまで体の中を見たことがなかったのです。そうやって始めた翻訳は大変な作業でした。辞書などなかったからです。玄白たちはどのように翻訳を進めたのでしょうか。

scene 02 解剖書『解体新書』の発行

今からおよそ240年前、杉田玄白は、人の体の解剖(かいぼう)書『解体新書』を発行しました。そのもととなったのが、オランダ語で書かれた『ターヘル・アナトミア』という解剖書です。この本は、オランダ人が長崎の出島に持ちこんだものです。当時は出島を通して、ヨーロッパの進んだ知識や文化が入ってきました。江戸で医者をしていた玄白が『ターヘル・アナトミア』を手にしたのは、39歳(さい)のときです。中にえがかれている骨格や筋肉、内臓の図は、今までに学んだものとはちがっていました。

scene 03 西洋医学の正確さにおどろく

ある日、処刑(しょけい)された囚人(しゅうじん)の解剖(かいぼう)に立ち会う機会を得た玄白は、『ターヘル・アナトミア』にかかれている解剖図の正確さにおどろきました。玄白はこのときの気持ちを書きのこしています。「基本的な人の体の中も知らずに医者をしていたとは…、面目もなき次第…」。当時の医者は、主に患者(かんじゃ)の様子を外から見て病気を判断し、薬を使って治していました。そのため、体の中がどうなっているかという知識はあまりありませんでした。

scene 04 困難をきわめた翻訳作業

玄白は仲間たちと『ターヘル・アナトミア』の翻訳(ほんやく)を開始します。しかし辞書もなくオランダ語がわからないため、作業は困難をきわめました。玄白は語ります。「鼻は顔の中でフルヘッヘンドしたもの」という文章がありました。しかしその「フルヘッヘンド」がわかりません。ある本には、「木の枝を切り取るとそのあとがフルヘッヘンドとなる」、また「庭をそうじするとごみが集まりフルヘッヘンドする」とあります。考え続けた玄白がふと思いつきます。それは「うず高くなる」ということではないのか。「鼻は顔の中でうず高くなっているもの」と、ようやく訳すことができたのです。



オープニング

scene 05 ドキリ★『解体新書』の出版で蘭学が発達した

このような苦労を重ねて4年。日本語に訳された『解体新書』が完成しました。この本の出版で日本の医学は大きく前進することになります。またオランダ語の翻訳(ほんやく)技術が進み、医学以外の学問も盛んになります。このような西洋の学問を「蘭学(らんがく)」と呼びました。『解体新書』の出版をきっかけに蘭学を学ぶ人が増え、発達します。またこの時代には、農民や町人の子どもたちが学ぶ「寺子屋(てらこや)」ができました。武士や医者などが先生となって読み書きやそろばんを教える寺子屋は、子どもたちの学問の場として全国に広がりました。

オランダ通詞の家系は、長崎系と平戸系

『阿蘭陀通詞由緒書』
平戸系--名村・石橋・志筑・肝付・西・本木・横山・猪俣
長崎系--楢林・加福・中山・今村・堀