2026年5月19日火曜日

幕府勘定吟味方、根岸九郎左衛門鎮衛に関するエピソード

   『耳袋』の著者根岸鎮衛は江戸の都市文化・民俗・医療・怪異・社会風俗などの稀代のメモ魔である。

 彼の驚くべき精励さと稀有な記憶力、さらには比類ない描写力などが発揮されたのは、大身になった時ではなく、すでに幕府の非エリートである旗本時代に、彼の片鱗が表れている。

 時は、天明3年【1783)7月8日(1783年8月5日)。俗に「天明の浅間焼け」と呼称される浅間山の大噴火があった。この噴火による降灰は浅間山から200km離れた江戸ばかりではなく、400km離れた佐渡にも達したという。もちろん多数の人的被害があったばかりではなく、家屋の消失や倒壊、用水路の破壊、耕作地への火砕物堆積、さらには利根川に達する天明泥流などの被害状況が幕府にもたらされた。加えて、中山道が小諸から軽井沢・上野国に至るルートで遮断され、上京中の大名が多数足止めを食ったという。直接的に、

浅間山山腹にあった幕府の直轄地、俗称「なぎのはら」も壊滅的被害を受けたという。この時点では、天明大飢饉の発生までを予測できなかったにせよ、前代未聞の大災害であったという認識が幕府にあった。噴火直後の8月6日に現地に派遣されたのが、当時幕府勘定吟味方にあった根岸九郎左衛門鎮衛(1737―1815)であった。

この調査報告は微に入り、細に入り、その描写は卓越しており、後年、『耳袋』を執筆する片鱗をうかがわせる。メモ魔である。

その紹介は災害学に無関心な方に退屈だろうから、意を以て割愛する。

なお、根岸九郎左衛門鎮衛の出世談は、天明大飢饉・天明の打ちこわし、老中首座が田沼意次から松平定信への交代期にあたったために、その時期の世相の観察は興味深いが、後日に紹介する。







高野信司「近世の伝聞記録「耳嚢」にみる〈障害〉 : 素材と論点」は好論文

  近世の伝聞記録「耳嚢」にみる〈障害〉 : 素材と論点

Creator / Contributor
Is Part Of
障害史研究, 2023-03, Vol.4, p.31-47
Identifier
DOI: 10.15017/6779686

親の思いは一つ。元気な我が子の誕生。それは安産の神々の多さで確認できよう。しかしながら、内閣府のデータによると、不幸にも身体・知的・精神障害などを合わせると 国民の約9%が障害を有する という。確かに国際的な疫学研究では、

  • 先天異常(心疾患、染色体異常、四肢・臓器形成異常など)

  • 出生後すぐに判明する知的障害・重度発達障害

などを想定しなくてはならない。日本国民の

  • 身体障害者数(423万人)

  • 知的障害者数(126.8万人)

  • 精神障害者数(603万人) といった統計データも発表されているらしい。今、ここで私は障碍者と書いたが、その反対語を「健常者」」としていない。なにが「健常」なのかを断言できないからである。「健常者」のレッテルの下で、さまざまな残忍な非人間的な行為を平然と行うからである。その典型は戦争・殺人。                                江戸時代、幕府の高官であった根岸鎮衛が民衆を支配する為政者側からの視点で障碍者に関するメモを残した。彼は幕府のエリート層出身者ではなく、むしろ売官によって零落した御家人の株を購入して身分上昇を遂げていった人間だけに、厳しい身分社会の中で障碍者のおかれた立場は良く見聞きした。プライドだけが高いサムライとは一味違い、温かみのある視線はその出生にあった。

  • 高野信司の高論の一読をこう。



『耳袋』ーー根岸鎮衛は江戸風俗文化のメモ魔

 『耳袋』は江戸の都市文化・民俗・医療・怪異・社会観察の総合アーカイブである。著者の根岸鎮衛は江戸風俗文化のメモ魔であった。

 機会があり、カリフォルニア大学Berkeley校に足を踏み入れて、1年以上、Berkeley所蔵の旧三井文庫蔵の和本を自由に出納し、眼福を増やすことができた。戸越にあった三井文庫所蔵本(和本や浅見倫太郎旧蔵朝鮮本、拓本など)がどのような経緯で、いつ、だれの手で、いくらで購入されて、Berkeleyに送られたかに関するエピソードは、私が在Berkeley時に、その担当者エリザベス・マッキンノン女史(ElizabethMckinnon)から直接に購入経緯を詳細にうかがうことができた。彼女は東京女子高等師範学校出の美しく上品な江戸弁の使い手であった。彼女へのインタビュー録音テープとともに、彼女とやり取りをしたレターが残っている。

 なおBerkeleyをリタイアされて、San Diegoにお住いの元ライブラリアン由谷英二氏の全面的ご協力を賜った。

資料①国立国文学研究資料館調査

書籍:5,400+ タイトル(17,200+冊、明治刷り本を含む)
写本:3,700+タイトル(8,100+冊)、詠草類等4,200+枚 (明治期以降書写本を含む)
地図:約2,300 タイトル(明治期以降出版資料を含む)
一枚摺り:約1,300タイトル点(明治期以降出版資料を含む)

資料②由 谷英二「東アジア図書館における日本の貴重書と特別コレクション」(JapaneseRare BooksandSpecialCollectionsintheEastAsiaticLibrary, 1976

資料③RogerSherman「TheAcquisitionofMistuiCollec. tionbytheEastAsiaticLibrary,1980. 196page)

私の調査メモは別の機会に発表したい。

 さて、閑話休題。

『耳袋』。私の短いBerkeley滞在時に、ある日、手に取った本であった。

2068 (守信随筆)耳嚢 宗ロ32 10 随筆藤原守信序 「文化六巳年仲秋七十三翁守信謹書」(跋)

根岸鎮衛(1737–1815)採話全10巻。すでに岩波文庫『耳嚢』で目にしていたとはいえ、その原テキストを目にした時の感慨は忘れない。当然ながら、岩波文庫本を横に置きながら、一読した。

ちなみに南町奉行・根岸鎮衛の裁判モデルを体系化すれば、次のようになろう。

(1)裁判役としての 判断モデル

① 事実認定(実証主義)

  • 証文・証拠・証言の整合性を重視

  • 「情実」を排し、証拠の強度で判断

  • 例:親類の依頼を断り「出世は天恵」と述べる

② 社会秩序の維持(公共性)

  • 個人の事情より「町の秩序」を優先

  • 例:賭博・喧嘩・火事場泥棒に厳罰

③ 人情・救済(温情主義)

  • 弱者(奉公人・女性・子供)には寛大

  • 例:溺死した老人頭の遺族に弔慰金

④ 教訓化(再発防止)

  • 裁きの後に「教訓」を与える

  • 例:奉公人の扱いを改善するよう商家に諭す


(2)地名ネットワーク

ノード:江戸

  • 町人地:日本橋 → 京橋 → 神田 → 浅草

  • 武家地:赤坂 → 桜田 → 小石川 → 牛込

  • 寺社地:上野寛永寺 → 浅草寺 → 増上寺

  • 下町:本所 → 深川 → 向島


(3)根岸鎮衛の情報網と人物ネットワーク

  • 町奉行所の役人:与力 → 同心 → 小者

  • 武家:旗本 → 徒頭 → 小十人頭

  • 町人:商家 → 職人 → 奉公人

  • 宗教者:僧侶 → 神職

  • 医師:町医者 → 蘭方医 → 祈祷師

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  • 岡雅彦他編『三井文庫旧蔵江戸版本書目: カリフォルニア大学バークレー校所蔵』東京、ゆまに書房、1990年。
  • 長谷川強他「カリフォルニア大学バークレー校旧三井文庫写本目録稿」『調査研究報告』5 (1984年3月)、261-340頁。)
  • 奥田勲「カリフォルニア大学東アジア図書館蔵―古経コレクション目録稿」
  • 『聖心女子大学論叢』94 (2000年1月)、111-171頁。
  • 住吉朋彦「カリフォルニア大学バークレー校東アジア図書館蔵 日本伝来漢籍目録初編」『斯道文庫論集』46 (2011年)、399-426頁。)

伎倍」考ーー紀平氏の由来

 世の中には、生命学ならぬ姓名学もあるそうだ。

例えば、紀平氏。学のない私などは、かって『国体の本義』の中心的執筆メンバーである紀平正美氏などを思い浮かべる。

>>【読み】きひら,きへい,のりひら,きのひら,のりへい,きたいら,きだいら

【全国順位】 4,848位
【全国人数】 およそ2,200人 出典 紀平さんの名字の由来や読み方、全国人数・順位|名字検索No.1/名字由来net|日本人の苗字・姓氏99%を掲載!!

さて、この「紀平」は漢字に引っ張られて「きひら」とか「のりひら,きのひら,きたいら,きだいら」などと読むが、本来は「きへい」であったと仮説する。

 KIpei→KiFei→KiHei→紀平 → きへい,のりひら,きのひら,きたいら,きだいら

 ところで『万葉集』には「あらたまのきへ」という語句が1か所ある

*3353番歌

阿良多麻能 伎倍乃波也之尓 奈乎多弖天 由伎可都麻思自 移乎佐伎太多尼

あらたまの伎倍の林に汝を立てて行きかつましじ眠を先立たね


*2530番歌

璞之 寸戸我竹垣 編目従毛 妹志所見者 吾戀目八方

あらたまの伎倍が竹垣網目ゆも妹し見えなばわれ恋ひめやも

これら『万葉集』中の2530番歌にせよ、3353番歌にせよ、『倭名類聚抄』に「阿良多末」とあるように、「あらたま」は遠江国麁玉郡である。

 「きへ」に関しては、同じ『万葉集』に

*3354番歌

伎倍比等乃 萬太良夫須麻尓 和多佐波太 伊利奈麻之母乃 伊毛我乎杼許尓

伎倍人の斑衾に綿さはだ入りなましもの妹が小床に

にもある。この3例から推測するに、「きへ」は特定地名とする先行研究が多い。その一方で、「きへ」は柵戸(城戸)で、城柵周辺に居住する古代防御性集落に擬する説もある。

今の未熟な 我が学識で、わずか3用例ではいずれとも決しがたいので、ここでは両論併記を許していただきたい。

「きへ」は特定地名説ーー浜松市貴平町周辺

②「きへ」は柵戸説ーー軍事的防御施設周辺の集落

確かに遠江国軍団は、これまでの出土した遺物や意向などを総合的に考えると、現在の浜松市中区の伊場遺跡周辺に設置された可能性が高い。したがって、木場遺跡から7~8キロしか離れていない貴平の地に城柵で囲まれた軍事的施設が設置されたことになる。

その理由として、

  • 国府の近く(徒歩で往来できる距離)

  • 官道(古代東海道・中路)沿線

  • 天竜川西岸(兵站・水運)


  • 平坦な段丘上(演習場の確保)

などの諸条件を勘案すれば、いちがいに否定もできない。

さて、念のために正直に告白すれば、私見は、「紀平」氏の由来を「城柵」説だと考えている。ただし、そのエビデンスがない。

*あらたまの伎倍の林に

*あらたまの伎倍が竹垣網目ゆも

伎倍人の斑衾に

の内で、とりわけ第2例目に文学的興趣を覚えるからである。


2026年5月18日月曜日

嘉永7年(1854)11月4日朝五ツ半時(午前9時)関東・東海道嘉永地震:浜松の被害事例

 奈川新田書留(『浜松市史史料編五』)中に記載されている地震記録である。被害調査のひな型である。

 
   一、崩死   誰何才       一、怪我   同
   一、土蔵   何ヶ所  内本潰  何ヶ所  半潰   何ヶ所
   一、物置   何ヶ所  内本漬  何ヶ所  半潰   何ヶ所
   一、田畑検地 凡何程       一、牛馬   死何疋
        〆
 右は去る四日之地震にて、村々より先日訴出候得共、書面雛形之通聢と取調、明後十日朝四ッ時無遅滞、新台所役所へ一村限可差出候、尤即死之者も今般之儀は見分等無之候間、無遠慮可差出候、此配符以刻付早々順達、留り村より可戻候、以上、
    十一月八日

なお、この地震では津波による被害も発生している。

宝永4年(1704)10月4日昼八ツ時(午後2時)の浜松大地震

  一、宝永四己亥年十月四日昼八ッ時頃大地震御座候て、道中筋所々家潰半潰大破損家小破損家、其節御料所宿々へ御大名様方御手伝御付被成候て、宿々へ金子被下御取立遊候、

  一、勢州四日市宿より遠州見付宿迄、本多吉十郎様御手伝御代官外細田伊左衛門様、
  一、遠州袋井宿より駿州由比宿迄酒井左衛門尉様御手伝、
  一、由比宿より相州小田原迄真田伊豆守様御手伝、
 右宝永五子年正月より同三月時分迄、

2026年5月8日金曜日

英国の著名な日本学者 チェンバレンの愛人は?

 Basil Hall Chamberlainは、1882年に『古事記』を世界で初めて英訳した人物として著名

KO-JI-KI, or Records of Ancient Matters(1882) Transactions of the Asiatic Society of Japan 第10巻補遺

彼の初来日は、明治6(1873)年5月9日来日」

明治政府の調査によると、明治23年に東京帝国大学教授を辞任した後、明治25年現在の住所は、

東京府赤坂区台町 426・37坪、33.854円 戸田キン(名義人) 英国人チェンバレン(所有者) 、2棟。備考:名義人は所有者の妾(表記のママ)なり


注:赤坂区台町は現在の赤坂6丁目。


とある。