2017年10月15日日曜日

稲葉君山関係資料

1 1902 古澤北冥合著 『北方支那』 東京 丸善 明治35年6月
2 1912 『朱舜水全集』 東京 文会堂 明治45年4月
1912 『遼東志』 尊経閣叢書 東京 高木猪三郎 明治45年
1914 『仏教芸術の研究』 東京 金港堂書籍 大正3年
3 1915 『清朝全史』 上下 東京 冨山房 大正4年4月
4 1915 『満洲発達史』 東京 大阪屋号出版部 大正4年5月
1915 『最新支那史講話』 東京 日本評論社出版部 大正4年
5 1916 『支那帝政論』 東京 奉公会 大正5年
6 1916 『近世支那十講』 東京 金尾文淵堂 大正5年5月
7 『支那の軍政と兵制』 大正6年3月刊
8 1918 『支那政治史綱領』 東京 早稲田大学出版部 大正7年12月
9 1920 『近代支那史』 東京 大阪屋号書店 大正9年6月
1921 『対支一家言』 東京 日本評論社 大正10年
11 1922 『支那社会史研究』 東京 大鎧閣 大正11年2月
1923 稲葉君山 『朝鮮の姓の由来-朝鮮文化の研究(一)-』 京城 巌松堂書店 大正12年9月 四六版73p
10 『最新支那史講話(近世之部)』 大正14年2月
12 1925 稲葉君山 『朝鮮文化史研究』 東京 雄山閣 大正14年9月 378p 菊版
13 1933 稲葉岩吉 『光海君時代の満鮮関係』 京城 大阪屋号書店 昭和8年3月
1934 『岩波講座 日本歴史(日露関係)』 第四 東京 岩波書店 昭和9年
14 1935 『増訂満洲発達史』 東京 日本評論社 昭和10年1月
15 1935 『世界史大系(朝鮮史・満洲史)』 第十一 東京 平凡社 昭和10年6月
1935 『東北開発史』 不明 辛未編訳社 昭和10年
16 1936 『前満洲の開国と日本』 京城 熊平書店 昭和11年6月
1936 稲葉岩吉 『釈椋』 京城 宝黄室 昭和11年11月 145p
1938 『支那近世史講話』 京城 日本評論社 昭和13年
1938 稲葉博士還暦記念會 編 『稲葉博士還暦記念滿鮮史論叢』 京城 稲葉博士還暦記念會 編 昭和13年 769p
1938 『平安北道史』 新義州 平安北道庁 昭和13年
1939 『朝鮮史・満洲史』 東京 平凡社 昭和14年
1939 『興慶二道河子旧老城』 新京 建国大学 昭和14年
1939 『新東亜建設と史観』 東京 千倉書房 昭和14年
1939 『後藤新平伯と「満洲歴史調査部」』 奉天 南満洲鉄道株式会社鉄道総局広報課 昭和14年
1940 『満鮮歴史地理』 東京 丸善 昭和15年
1940 『満洲国史通論』 東京 日本評論社 昭和15年
                     
1 1899 「東洋政治史の開展を批判す」 『日本人』 101 明治32年10月
2 1901 「天津に於ける日本人創設の学堂」 『日本人』 133 明治34年2月
3 1901 「所謂支那通者」 『日本人』 139 明治34年5月
4 1901 「白河の遭運を論ず」 『日本人』 145 明治34年8月
5 1902 「沽上集」 『日本人』 156 明治35年2月
6 1902 「北支那の研究を促す」 『日本人』 159 明治35年3月
7 1902 「再び北支那の研究を促す」 『日本人』 160 明治35年4月
8 1902 「清國近時教案の変遷何似」 『日本人』 161 明治35年4月
9 1902 「白雲黄草」 『太陽』 8-4 明治35年4月
10 1902 「駝背集」 『日本人』 162 明治35年5月
11 1902 「北支那戦史編纂の方針(参謀本部の注意を促す)」 『日本人』 163 明治35年5月
12 1902 「桐城呉汝綸傳」 『日本人』 164 明治35年6月
13 1902 「新彊及蒙古問題の解決」 『日本人』 165 明治35年6月
14 1902 「支那事情に関する普通智識」 『日本人』 167 明治35年7月
15 1902 「北方支那に於ける城池考」 『日本人』 167 明治35年7月
16 1902 「清國碩儒呉汝綸傳」 『太陽』 8-9 明治35年7月
17 1902 「清人の引接何如」 『日本人』 168 明治35年8月
18,19 1902 「清國教育の前程(清國近時教育史を批判す)」 『日本人』 170,172 明治35年9,10月
20 1903 「元初の偉材(郝経の文学」 『太陽』 9-8 明治36年7月
21 1903 「支那劇の由来」 『太陽』 9-14 明治36年12月
22 1904 「四川論」 『日本人』 205 明治37年2月
23,24 1904 「宜渝區の山水」 『日本人』 209,210 明治37年4,5月
25-27 1906 「薩爾滸城付近の追憶」(一~三) 『日本人』 444,446,447 明治39年10,10,11月
28-29 1907 稲葉岩吉 「熱河日記(朴燕巖)を読む」(1、2) 『日本及日本人』 450、455 明治40年1・3月
30 1907 「満洲宗教の梗概」 『日本及日本人』 457 明治40年4月
31 1907 「遼東博物館の創設何似」 『日本及日本人』 460 明治40年6月
32 1907 「西太后の前半生」 『太陽』 13-8 明治40年6月
1907 「韓半島の保障と遼東半島」上下 『東洋時報』 105,106 明治40年6月7月
33 1907 「長春の満洲に於ける地位」 『日本及日本人』 462 明治40年7月
34 1907 「枢廷忌満と袁張二氏」 『日本及日本人』 468 明治40年10月
35 1907 「韓国の移民と満洲」 『日本及日本人』 472 明治40年11月
36 1907 「貂裘記に見えたる清初の朝鮮」 『日本及日本人』 474 明治40年12月
1907 「斯廬六村と韓半島の統一」 『斯民』 明治40年
37 1908 「朱舜水考」 『日本及日本人』 475-485 明治41年1-6月
38 1908 「清國入祀の三大儒(黄梨洲顧帝林王船山の従祀に就いて)」 『日本及日本人』 486 明治41年6月
39 1908 「呉三桂檄書考」 『日本及日本人』 490 明治41年8月
40 1908 「鴻臚井残字に就て」 『日本及日本人』 491 明治41年9月
41 1908 「清國の憲政宣布を何如と視る」 『日本及日本人』 492 明治41年9月
42 1908 「北京廷の軽躁を警む(立憲宣布に対する再評)」 『日本及日本人』 493 明治41年10月
43 1908 「雲濱先生の墓について」 『日本及日本人』 496 明治41年11月
44 1908 「垂簾政治を弔ふ(西太后の訓政に対する歴史的批判)」 『日本及日本人』 498 明治41年12月
1908 「皇清開国方略に見えたる曲筆」 『歴史地理』 11-2 明治41年
45 1909 「金沢訪書談」 『日本及日本人』 501 明治42年1月
46 1909 「統監統治に対する要望-旧記史志の整斉に急なるべし-」 『日本及日本人』 504 明治42年3月
47,48 1909 「亡友澤寅多訓(尺水遺稿に就て)」 『日本及日本人』 508-511 明治42年5,6月
49 1909 稲葉岩吉 「金沢訪書続談-前田侯爵家の朝鮮本に就て-」 『日本及日本人』 512 明治42年7月
50 1909 「薛福成及び其史筆」 『日本及日本人』 519 明治42年10月
51 1909 「満洲及び大清の國号に就て」 『日本及日本人』 520 明治42年11月
52 1909 「清高宗純皇帝威狐獲鹿手巻解説」 『日本及日本人』 521 明治42年11月15日
53 1909 「太平天国の研究」 『日本及日本人』 522,523,526 明治42年10,11月、43年2月
54 1910 「忠孝の起源を論ず(湊川碑陰の記を読みて)」 『日本及日本人』 525 明治43年1月
55 1910 「北越山樵梅花百律」 『日本及日本人』 527 明治43年2月
56 1910 「朱舜水の建聖廟意見」 『日本及日本人』 531 明治43年4月
57 1910 「常宮韓鐘の年代考」 『日本及日本人』 534 明治43年6月
58 1910 「石神問答を読む(柳田国男君に)」 『日本及日本人』 537 明治43年10月
59,60 1910 「刺客及び游侠」 『日本及日本人』 538,549 明治43年8月、44年1月
1910 「秦長城東端王険城考」 『史学雑誌』 21-2 明治43年
61 1911 「宋明士風の接受と南朝表彰」 『日本及日本人』 554 明治44年3月
62 1911 「日韓上古史の裏面を評す」 『日本及日本人』 555 明治44年4月
1911 「「日韓上古史の裏面」に就いて」 『朝鮮』 38 明治44年4月
1911 「金秋史について」 『東洋学報』 1-2 明治44年5月
1911 稲葉君山 「金秋史及び阮堂集」 『朝鮮』 39 明治44年5月 p.135~
63 1911 「太平天国逸聞」 『日本及日本人』 562 明治44年7月
64 1911 「反清の思想」 『日本及日本人』 566-569 明治44年9-11月
65 1911 「誤れる対清史論(山路愛山君の「現代支那」について)」 『日本及日本人』 570 明治44年11月
66,67 1911 「明末清初乞師日本始末」 『日本及日本人』 572,574 明治44年12月、45年1月
68 1912 「清朝滅亡の三大因」 『日本及日本人』 573 明治45年1月
1912 「楽浪王氏の由来」 『朝鮮史学』 1 明治45年1月
1912 「楽浪出土の桃実」 『朝鮮史学』 2 明治45年2月
69 1912 「満清遺事」 『日本及日本人』 578 明治45年3月
70 1912 「嗚呼朱舜水」 『日本及日本人』 580 明治45年4月
71 1912 「長崎に於ける朱舜水」 『日本及日本人』 583 明治45年6月
72 1912 「遼東志解説」 『遼東志』 書後 大正元年10月
73 1913 「支那革命の再審(排満と容満)」 『日本及日本人』 597 大正2年1月
74 1913 「漢代の満洲」 『満洲歴史地理』 第1 大正2年5月
75 1913 「明代遼東の辺牆」 『満洲歴史地理』 第2 大正2年5月
76 1913 「建州女直の原地及び遷住地」 『満洲歴史地理』 第2 大正2年5月
77 1913 「清初の彊域ー天命元年以前清朝の領土ー」 『満洲歴史地理』 第2 大正2年5月
78 1914 「明代遼東の馬市(一)(二)」 『史学雑誌』 24-1,2 大正3年1,2月
79 1914 「漢代の虎狩」 『日本及日本人』 621 大正3年1月
80 1914 「書窓より」 『日本及日本人』 625 大正3年3月
81 1914 「曽國藩論」 『日本及日本人』 631 大正3年6月
82 1914 「清代の禁書」 『日本及日本人』 639 大正3年9月
83,84 1914 「復堂日記(支那学問の近状)」 『日本及日本人』 640,641 大正3年10月
1914 「真番郡の位置」 『歴史地理』 24-6 大正3年11月
85 1914 「康煕大帝の以漢制漢策」 『日本及日本人』 644 大正3年12月
1914 「魏志弁辰伝の涜廬国与倭接界は如何に読むべきか」 『考古学雑誌』 5-4 大正3年12月
86 1915 「清末人心の解剖(宣統帝の将来)」 『日本及日本人』 646 大正4年1月
87 1915 「山東倭冦を難ず」 『日本及日本人』 647 大正4年1月
1915 「玄菟郡の名称に就いて」 『歴史地理』 25-1 大正4年1月
88 1915 「日本金石と楊守敬」 『日本及日本人』 648 大正4年2月
89 1915 「対支交渉の功過」 『日本及日本人』 653 大正4年4月
90 1915 「蒙古開発史論」 『日本及日本人』 659 大正4年7月
91 1915 「修学院行幸と内藤信敦」 『日本及日本人』 660 大正4年8月
92 1915 「蒙支関係史論(オイラート蒙古アムールサナの傳説)」 『日本及日本人』 662 大正4年9月
93 1915 「禹城蒼生の為めに悲む(帝政復興運動に関して)」 『日本及日本人』 663 大正4年9月
94,95 1915 「蒙史関係史論」 『日本及日本人』 666,668 大正4年10,11月
96 1915 「前清宗室の所領地禁売」 『外交時報』 22-19 大正4年9月
97 1916 「袁世凱評判記」 『日本及日本人』 673 大正5年2月
98 1916 「支那の経学と政治」 『日本及日本人』 677 大正5年4月
99 1916 「諏訪湖畔の一日」 『日本及日本人』 680 大正5年5月
100 1916 「明末清初耶蘇会士の著述」 『日本及日本人』 683 大正5年7月
101 1916 「文章と支那民族性」 『日本及日本人』 689 大正5年9月
102 1916 「日支親善の一案」 『日本及日本人』 694 大正5年12月
103 1917 「海洋清宴図と日章旗」 『日本及日本人』 697 大正6年1月
104 1917 「王船山の政治論」 『日本及日本人』 702 大正6年4月
105 1917 「経済史より見たる支那仏教徒の地位」 『東亜経済研究』 1-1,1-2 大正6年5,8月
106 1917 「郎世寧唐岱合画」 『日本及日本人』 711 大正6年8月
107 1918 「支那社会の変遷」 『東亜経済研究』 2-1 大正7年4月
108 1918 「支那政弊の根本的批評」 『太陽』 24-7 大正7年5月
109 1918 「支那族制の権威に就て」 『東亜経済研究』 2-3,2-4 大正7年7,10月
110 1918 「支那再造の前途」 『太陽』 24-11 大正7年9月
1918 「池内学士の「鮮初の東北境と女真族との関係」に就きて」 『史学雑誌』 29-9 大正7年9月
111 1918 「支那経済漫録」 『東亜経済研究』 2-4 大正7年10月
112 1918 「田賦改革意見書」 『東亜経済研究』 2-4,3-1・2・3・4,4-1 大正7年10月、8年1,4,7,10月、9年1月
113 1919 「乾隆帝と香妃」 『日本及日本人』 747 大正8年1月
114 1919 「三好物外の死」 『日本及日本人』 751 大正8年3月
115 1919 「支那民律と族制」 『東亜経済研究』 3-2 大正8年4月
116 1919 「支那の外力利用」 『太陽』 25-5 大正8年5月
117 1919 「日支関係論」 『太陽』 25-11 大正8年9月
118 1919 「支那統一問題」 『太陽』 25-13 大正8年11月
119 1920 「蒙古と支那本部との限界」 『東亜経済研究』 4-1 大正9年1月
120 1920 「支那社会文化の特質(其の社会革命及家族制度に就て)」 『太陽』 26-2 大正9年2月
121 1920 「童話桃太郎の改造」 『日本及日本人』 776 大正9年2月
122 1920 「清代の広東貿易」 『東亜経済研究』 4-234,5-1 大正9年4,7,10月、10年1月
123 1920 「四庫全書譲渡案件」 『東亜経済研究』 4-3 大正9年7月
124 1920 「新豊折臂翁の詩」 『日本及日本人』 787 大正9年7月
1920 「朝鮮人の民族を考察して所謂鮮人自覚論に及ぶ」 『東洋時論』 5-2 大正9年2月
125 1920 「支那時局解説」 『東亜経済研究』 4-4 大正9年10月
126 1920 「対史国論を警む」 『太陽』 26-11 大正9年10月
127 1921 「杜氏の支那語」 『東亜経済研究』 5-1 大正10年1
128 1921 「頭魚宴と頭鵝宴」 『日本及日本人』 800 大正10年1
129 1921 「聖徳太子の外交(聖徳太子千三百年祭を記念して)」 『太陽』 27-3 大正10年3
130 1921 「◆(馬旦)儈・牙儈及び牙行に就て」 『東亜経済研究』 5-2,3 大正10年4,7
131 1921 「工夫であればこそ」 『日本及日本人』 808 大正10年5
132 1921 「樺太接壌地方ノ鮮支両民族ニ就テ」 『東亜経済研究』 5-3 大正10年7月
133 1921 「新文学者としての胡適」 『日本及日本人』 818 大正10年9
1921 稲葉君山(陸軍大学校教官) 「支那の裁兵問題及法権問題」 『朝鮮』 第82号 大正10年12月 9p
134 1922 「朝鮮の文化問題」 『東亜経済研究』 6-2,7-2 大正11年4月、12年4月
135 1922 「神武天皇の御服飾を改めよ」 『日本及日本人』 832 大正11年4月
136 1922 「支那の皇太子問題」 『日本及日本人』 833 大正11年4月
137 1922 「支那社会の本質及び作用」 『太陽』 28-5 大正11年5月
1922 「満鮮不可分の史的考察」 『東洋』 25-5 大正11年5月
138 1922 「支那社会の本質及び作用」 『東亜経済研究』 6-3,7-1 大正11年7月、12年1月
1922 稲葉岩吉 「朝鮮文献の保存について」 『東洋』 25-7 大正11年7月
1922 「箕子朝鮮伝説を読みて」 『支那学』 2-12 大正11年8月
139 1923 稲葉君山 「支那近代政治の起源」 『朝鮮』 第95号 大正12年2月
140 1923 「根岸時代を追憶して」 『日本及日本人』 869 大正12年9月
141 1923 稲葉君山(中枢院嘱託) 「古代朝鮮と支那との交通」 『朝鮮』 交通発達号(第102号) 大正12年10月
1923 「朝鮮の修史事業」 『植民』 2-5 大正12年
142 1924 「朝鮮ノ姓ノ由来」 『東亜経済研究』 8-1 大正13年1月
143 1924 稲葉君山 「李王世子殿下陸軍大学卒業奉賀」 『朝鮮』 第106号 大正13年2月 pp.25~28
144 1924 「満蒙鮮と支那本部との関係」(一)(二T) 『満蒙』 5-1,2 大正13年1,2月
1924 「朝鮮百語-国号の話-」(一~六) 『朝鮮地方行政』 3-3,5,8,10,4-1 大正13年3,5,8,10月、大正14年1月
145 1924 「史記の漢高祖本紀に就て」 『東亜経済研究』 8-2 大正13年4月
146 1924 「支那及び満洲朝鮮と日本との関係」 『満蒙』 5-5,6,7 大正13年5,6,7月
1924 「朝鮮の家族制度問題」 『東洋』 27-8 大正13年8月
147 1924 「朝鮮政治史の過程」 『東亜経済研究』 8-4 大正13年10月
148 1924 「湾商」 『東亜経済研究』 8-4 大正13年10月
1925 「高句麗の泉男生墓誌に就いて」 『朝鮮史講座』 大正14年
1925 「鮮満関係史」 『朝鮮史講座』 大正14年
1925 「朝鮮民族史」 『朝鮮史講座』 大正14年
1925 「新出土の孝文廟銅鏡銘識に就て」 『朝鮮史講座』 大正14年
1925 稲葉岩吉 「震災と鮮満史料の佚亡に就て」 『朝鮮史講座特別講義』 大正14年
149 1925 「朝鮮社会史ノ断面(上~下)」 『東亜経済研究』 9-1,3 大正14年1,3月
1925 稲葉君山 「灣商−『熱河日記』を読みて−」 『朝鮮史講座特別講義』 大正14年 pp.13~43
1925 稲葉君山 「日鮮文化の歴史的差別に就いて」 『朝鮮』 120 大正14年5月
1925 「楽浪文化の研究に就いて-史記漢書の精読を要す-」 『中央史壇』 11-4 大正14年10月
190 1926 「薩摩と大西郷」 『日本及日本人』 890 大正15年1月
151 1926 稲葉君山 「朝鮮民族と族譜」 『朝鮮』 第128号 大正15年1月
152 1926 「章氏の官制索隠」 『東亜経済研究』 10-1 大正15年3月
1926 「朝鮮国境の史的考察」(一~五) 『朝鮮史学』 3~7 大正15年3,4,5,6,7月
153 1926 「朝鮮ノ族制ニ就テ(上~下)」 『東亜経済研究』 10-2,3 大正15年4,7月
1926 稲葉岩吉 「大正十三年史料探訪報告書」 『朝鮮史学』 1-4 大正15年4月
155 1926 稲葉君山 「支那史に見ゆる制度の二重体系」 『朝鮮』 132 大正15年5,6
1926 「朝鮮人は如何に生活を改善すべきか-大家族制度、温突、白衣の改善-」 『文教の朝鮮』 大正15年5月号 大正15年5月
154 1926 稲葉岩吉 「高麗時代の文籍」 『内藤博士還暦祝賀支那學論叢』 大正15年6
1926 「檀君説話」 『朝鮮史学』 6 大正15年6月
1926 稲葉岩吉 「赤裳史庫訪問記」 『朝鮮史学』 7号 大正15年7月
1926 「朝鮮族譜の研究(上)」 『朝鮮史学』 7 大正15年7月
1926 稲葉君山 「『治平要覧』の発見」 『朝鮮史学』 7 大正15年7月 1p
156 1926 稲葉君山 「朝鮮党争史に対する一考察-李寧斎の原論を読みて-」 『朝鮮』 137 大正15年10月
157 1926 「支那香料の研究」 『東亜経済研究』 10-4 大正15年10月
158 1926 稲葉君山(修史官) 「支那文化より見たる楽浪遺品」 『朝鮮』 139 大正15年12月
159 1927 稲葉君山 「満洲民族を顧みて」 『朝鮮』 昭和2年1月号 昭和2年1月
1927 「楽浪出土孝文廟の銅鏡について」 『朝鮮仏教』 34 昭和2年2月
160 1927 稲葉岩吉 「草本『懲毖録』に就いて」 『史學』 6-1 昭和2年3月
161 1927 稲葉岩吉 「『高麗史節要』の由来−節要高麗史の節略に非ず−」 『藝文』 18-4・5 昭和2年6,7 pp.259~279、339~363
1927 「朴斉家及びその社会改良意見」 『京城土木建設協会会報』 昭和2年4月号 昭和2年4月
162 1927 稲葉岩吉(修史官) 「朝鮮の領土問題民族問題及び鮮満文化関係に就て」(1)~(2) 『朝鮮』 148-149 昭和2年9,10月
163 1928 「夫餘系説話の展開-清太祖の感生説-」 『民族』 3-3 昭和3年1月
164 1928 稲葉岩吉(修史官) 「漢四郡問題の攷察」 『東亜経済研究』 12-4 昭和3年3月
165 1928 「楽浪遺品の価値と支那交通に就て」 『朝鮮』 150 昭和3年10月
166 1928 稲葉岩吉 「『重広会史』の印文に就いて−高麗世系を論ず−」 『史学』 7-3 昭和3年11月 26p
1928 「咸北に於ける女真語の地名」 『朝鮮語』 38 昭和3年11月
1929 稲葉岩吉 「『龍龕手鑑』初版の年代に就いて」 『朝鮮』 第164号 昭和4年1月 pp.21~24
1929 稲葉岩吉 「『圭齋遺藁』を手にして」 『朝鮮』 第166号 昭和4年3月
167 1929 「朝鮮家族法管見」 『東亜経済研究』 13-2 昭和4年5月
168 1929 稲葉君山 「文禄壬辰の事ども」 『朝鮮』 169 昭和4年6月
1929 稲葉岩吉 「草本『光海君日記』−李朝実録纂修より見たる−」 『史学』 8-2 昭和4年8月 p.167~210
1929 稲葉岩吉 「『法華霊験伝』に就いて」 『史学雑誌』 40-8 昭和4年8月 4p
169 1929 稲葉岩吉 「朝鮮役の結果を顧みて」 『朝鮮』 172 昭和4年9月
170 1930 「満洲民族に関する両方面の観察」 『東亜経済研究』 13-4,14-2 昭和4年10月、5年11月
171 1930 稲葉岩吉 「春畝公と李鴻章と(一~二)」 『朝鮮』 177,178 昭和5年2,3月
172 1930 稲葉岩吉 「北青城串山城女真字摩崖考釈」 『青丘學叢』 2号 昭和5年11月
1930 稲葉岩吉 「書評:田保橋潔著『近代日史鮮関係の研究』」 『青丘學叢』 2号 昭和5年11月
1931 「高麗尹瓘九城考-特に英雄二州の遺址に就いて」(1)(2) 『史林』 16-1,2 昭和6年1,2月
1931 稲葉岩吉 「書評:箭内亙著『蒙古史研究』」 『青丘學叢』 3号 昭和6年2月
173 1931 「元の開元路退毀昏鈔印の出土に就いて」 『青丘学叢』 3 昭和6年2月
1931 「朝鮮の寺院茶」 『朝鮮公論』 18-4 昭和6年4月 p.61~
174 1931 「寺院経済資料と長生標」 『東亜経済研究』 15-1・2 昭和6年4月
175 1931 稲葉岩吉・末松保和 「京都南禅寺大蔵経の瞥見-高麗板経と高麗写経-」 『朝鮮』 第191号 昭和6年4月 pp.99~118
176 1931 稲葉岩吉 「『三国史記』の批判」 『朝鮮』 第192号 昭和6年5月
177 1931 稲葉岩吉 「朝鮮吏文の由来」 『朝鮮』 第195号 昭和6年8月
178 1931 「朝鮮の寺院茶(明慧上人七百年忌を紀念して)」 『建築協会雑誌』 昭和6年8月
179 1931 「満洲開国説話の歴史的考察」(上)(下) 『青丘学叢』 5,6 昭和6年8,11月
1931 「朝鮮古来の農政に就て(一~三)」 『朝鮮農会報』 5-9,10,11 昭和6年9,10,11月
180 1931 「長生標及び長生庫補考」 『東亜経済研究』 15-4 昭和6年10月
181 1931 「素王事紀に就て」 『蘇峰先生古稀祝賀知友新稿』 昭和6年10月
1931 「朝鮮の伝説及思想の解放に就いて」(一~二) 『朝鮮地方行政』 10-11,12 昭和6年11,12月
182 1932 稲葉岩吉 「法華霊験傳改題」 『朝鮮』 200 昭和7年1月
183 1932 稲葉岩吉 「古逸本杜工部詩史補遺に就て」 『青丘學叢』 7号 昭和7年2月 pp.111~116
184 1932 「満洲新政権に対する待望」 『朝鮮』 202 昭和7年3
185 1932 稲葉岩吉 「高麗宣光版『禅林宝訓』 書後」 『青丘學叢』 8号 昭和7年5月 pp.133~139
186 1932 「満蒙諸民族建国の一考察」 『東亜経済研究』 16-2 昭和7年5月
1932 稲葉岩吉 「草黄嶺新羅真興王断碑の出現-咸南訪碑録の一-」 『青丘學叢』 9号 昭和7年8月
187 1932 稲葉岩吉 「吾妻鏡女直字の研究」 『青丘學叢』 9号 昭和7年8月 pp.1~19
188 1932 稲葉岩吉 「塗改本清太祖実録残巻及び其の年代」 『青丘學叢』 10号 昭和7年11月 pp.42~68
189 1932 「明治以後に於ける歴史学の発達(朝鮮史)」 『歴史教育』 7-9 昭和7年11月
190 1933 「満洲社会史の断層」 『東亜』 5-8 昭和8年1月
191 1933 「庚戌土断と団貌」 『東亜経済研究』 17-1 昭和8年7月
192 1933 「満鮮史体型の再認識」(上)(中の一、二)(下) 『青丘学叢』 11~14 昭和8年2,5,8,11月
1933 (稲葉) 「書評:朝鮮史(第五編第一巻)(朝鮮史編修会編)」 『青丘學叢』 12号 昭和8年5月 pp.181~184
1933 (稲葉) 「書評:読史方輿紀要索引支那歴代地名要覧(青山定男編)」 『青丘學叢』 12号 昭和8年5月 pp.191~192
193 1933 「朝鮮畸人考-中人階級の存在に就て-(上~下)」 『東亜経済研究』 17-2,4 昭和8年5,9月
194 1933 「満鮮関係史雑考」 『満蒙』 昭和8年5月
195 1933 「申叔舟の画記-安平大君の什蔵並に安堅について-」 『美術研究』 19 昭和8年7月
196 1933 「神功紀外征の新考察」 『歴史教育』 8-9 昭和8年11月
197 1933 稲葉岩吉 「『高麗図經』を読みて」 『市村博士古稀記念東洋史論叢』 昭和8年8月 pp.149~167
198 1933 「満洲に於ける漢民族の地位」 『東亜』 6-8 昭和8年8月
199 1933 「満洲國創成の歴史的認識」 『東亜』 6-11 昭和8年11月
1933 (稲葉) 「書評:朝鮮史(第三編第四巻(朝鮮史編修会編)) 『青丘學叢』 14号 昭和8年11月 pp.188~189
1934 「明の毛◆(忄隣ーこざとへん)衛郡指揮使之印の出土」 『青丘學叢』 15 昭和9年2月
200 1934 「朝鮮孝宗朝に於ける両次の満洲出兵に就いて-清露関係初期の史料ー」 『青丘学叢』 15・16 昭和9年2月・5月
201 1934 稲葉岩吉 「朝鮮開国二三の考察」 『朝鮮』 226 昭和9年3月
202 1934 「日麗関係」 『岩波講座日本歴史』 昭和9年3月
203 1934 「満洲帝政は復辟に非ず」 『東亜』 7-4 昭和9年3月
204 1934 「満洲国号の由来」 『朝鮮』 227 昭和9年4月
1934 「朝鮮の民族分布と地名」 『朝鮮研究』 7-7 昭和9年7月
205 1934 稲葉岩吉 「満鮮史学上の内藤湖南博士」 『朝鮮』 231 昭和9年8月 p.73~
1934 (稲葉) 「書評:濼陽録・燕台再遊録(右文閣刊)」 『青丘學叢』 17号 昭和9年8月 pp.217~218
206 1934 稲葉岩吉 「朝鮮古代の産鉄史料に就て」 『東亞経済研究』 18-4 昭和9年11月
207 1934 「鉄嶺衛の位置を疑ふ-和田教授の明初の満洲経営-」 『青丘学叢』 18 昭和9年11月
1935 「孔子及び其教義に対する東方諸民族の態度」 『文教の朝鮮』 114 昭和10年2月 5p
1935 (稲葉) 「兼山洪熹氏の訃」 『青丘學叢』 19号 昭和10年2月 pp.201
1935 (稲葉) 「書評:集刊 第四本第三分 国立中央研究院歴史語言研究所出版」 『青丘學叢』 19号 昭和10年2月 pp.191~192
208 1935 「増補満洲写真帖序」 『増補満洲写真帖』 昭和10年3月
209 1935 「鈔本百二老人語録及び其の著者」 『服部先生古稀記念祝賀紀念論文集』 昭和10年4月
210 1935 「廃主光海君論(洪兼山本文補註)」 『青丘學叢』 20 昭和10年5月
1935 (稲葉) 「書評:朝鮮史第五編第五巻(朝鮮史編修会編)」 『青丘學叢』 21号 昭和10年8月 pp.185~186
1935 「咸南旅行談」 『青丘學叢』 21 昭和10年8月
211 1935 稲葉岩吉 「近獲蒙古人の撰述二種-碼拉忒氏松筠の百二老人語録及び喀爾喀女史那遜蘭保蓮友の芸香閣遺詩-」 『青丘學叢』 22号 昭和10年11月 pp.129~134
1936 稲葉岩吉 「『瀋陽状啓』」 『青丘學叢』 23号 昭和11年2月 pp.165~166
1936 「古代朝鮮の家屋と文化-附朴斉家の北学議について-」 『朝鮮と建築』 15-5・6 昭和11年5月
212 1936 稲葉岩吉 「麗末鮮初に於ける家禮傳来及び其意義」 『青丘學叢』 23号 昭和11年2月 pp.1~22
213 1936 稲葉岩吉 「金静庵著渤海国志長編を読みて」 『青丘學叢』 23号 昭和11年2月 pp.108~113
1936 (稲葉) 「書評:奎章閣叢書第一 瀋陽状啓 京城帝国大学法文学部刊」 『青丘學叢』 23号 昭和11年2月 pp.165~166
214 1936 「明末清初に於ける朝鮮の地位形態」 『歴史教育』 10-11 昭和11年3月
215 1936 「古代朝鮮の家屋と文化」 『朝鮮と建築』 昭和11年4月
1936 稲葉岩吉 「近獲蒙古人の著書」(下) 『青丘學叢』 25号 昭和11年8月 pp.154~158
216 1936 「日本の儒教史観」 『朝鮮講演』 62 昭和11年11月
1936 稲葉岩吉 「(稲葉岩吉)主要論文及び著書目録」 『釈椋』 京城 大阪屋書店 昭和11年11月 145p
1937 稲葉岩吉 「『魏志』倭人伝管見」 『史林』 22-1 昭和12年1月 pp.1~27
1937 稲葉岩吉(総督府修史官文学博士) 「朝鮮の歴史的対満感情及び智識」 『朝鮮』 260 昭和12年2月
1937 稲葉岩吉(文学博士) 「韓山雑詠続五首」 『朝鮮』 264 昭和12年5月 pp75
1937 「朝鮮上代の海道」 『東亜経済研究』 21-3 昭和12年7月
1937 稲葉岩吉 「申忠一書啓及び図記-清初史料の解剖-」 『青丘學叢』 29号 昭和12年8月
1937 稲葉岩吉 「申忠一書啓及び図記-清初史料の解剖-」 『青丘學叢』 29号 昭和12年8月 pp.1~23
1937 稲葉岩吉(文学博士) 「朝鮮社会の諸問題」 『朝鮮』 268 昭和12年9月
1938 「予が満鮮史研究過程」 『稲葉博士還暦記念満鮮史論叢』 京城 稲葉博士還暦記念会 昭和13年 pp.1~27
1939 「校倉にて維がれる日本」 『画説』 33 昭和14年9月 p.42~
1940 「歴史上より見たる内鮮関係」 ラヂオ講演講座 15 昭和15年
1941 稲葉岩吉 「『魏志』弁辰伝の涜盧国与倭接界は如何に読むべきか」 『考古学雑誌』 5-4 昭和16年12月 pp.22~25
                     
1940 松浦嘉三郎 「稲葉君山先生の追憶」 『書香』 第125号 昭和15年10月 4p
1992 中見立夫 「日本の東洋史学黎明期における史料への探求」 神田信夫先生古稀記念論集編纂委員会編『神田信夫先生古稀記念論集:清朝と東アジア』 山川出版社 1992年3月
1993 中見立夫 「地域概念の政治性」 溝口雄三・浜下武志・平石直昭・宮嶋博史編『アジアから考える[1]:交錯するアジア』 東京大学出版会 1993年9月
2000 中見立夫 「《百二老人語録》の諸問題-稲葉岩吉博士旧蔵本の再出現とウラーンバートル国立図書館本をめぐって」 『満族史研究通信』 第9号 2000年4月 pp.21~43
2001 中見立夫 「稲葉岩吉の旧蔵書を追って」 松原孝俊編『台湾・朝鮮・満洲に設立された日本植民地期各種図書館所蔵日本古典籍の書誌的研究』 科研中間報告書 松原孝俊 平成13年3月 pp.23~36
2001 中見立夫 「稲葉岩吉博士と《百二老人語録》」 Altay Hakpo [Journal of the Altaic Society of Korea] No.11 June 2001
2002 中見立夫 "Some Remarks on the Emu Tanggu orin sakda I gisun sarkiyan" Tunguso-Sibirica 8 2002
2002 中見立夫 「《盛京宮殿舊蔵漢文日档》和所謂「喀◆(口刺)◆(さんずい心)本蒙源流」」 馮明珠主編『文献與史學:恭賀陳捷先教授七十嵪壽論文集』 台北 遠流出版事業股份有限公司 2002年7月
2004 寺内威太郎 「「満鮮史」研究と稲葉岩吉」 『植民地主義と歴史学』 東京 刀水書房 2004年3月
2004 中見立夫 「”北東アジア”はどのように、とらえられてきたか」 『北東アジア研究』 第7号 2004年3月

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