2018年1月20日土曜日

唐における新羅人居留地

揚州
楚州
泗川漣水県
海州東海県
密州諸城県
登州牟平県
海陽県
文登県

蘇州
明州
越州など

この居留地を列挙した理由は、韓国における研究の未熟さを嘆きたいからである。

つまり、新羅時代の清海鎮を根城とした張宝高の巨大さを誇張するために、上記の唐代新羅人居留地ずべてが張宝高の支配ネットワークにあったという。まったく史実を無視した想像に過ぎない。唐代から早くも朝鮮人ビジネスマンが中国の交易港湾都市とを結び、海商として東シナ海を自由に往来していたと主張したいと願っている。

ただし泗川漣水県と清海鎮の張宝高との間の関係を否定するつもりはない。杜牧の「張宝皐・鄭年伝」(『樊川文集』巻6)を知るからである。





円仁の太宰府滞在

円仁の博多出発記事

『入唐求法巡礼行記』巻一
承和五年(八三八)六月十三日、午の時、第一・第四両舶遣唐使は舶に駕る。順風が無く、停宿すること三箇日。
十七日、夜半、嵐風を得、帆を上げ、櫨を揺かして行く。巳の時、志賀島の東海に到る。信風が無いために五箇日のあいだ志賀島に停宿した。
二十二日、卯の時、艮風を得て進発できた。さらに澳(寄港地)を求めず、夜をついて暗みを行く。
二十三日、巳の時、有救島(五島の宇久島)に到る。