2019年6月30日日曜日

田川孝三先生 年譜





明治四十二年一月十三日 京城府旭町一丁目に生る(本籍は長崎県北高来郡小長井村大字小川原浦新田原名七十一番地)
大正四年四月京城府立東大門尋常小学校に入学、同十年二月卒業
大正十年四月京城公立中学校入学、同十五年二月卒業
大正十五年四月京城帝国大学予科入学、昭和三年三月修了
昭和三年 四月京城帝国大学法文学部史学科入学、六年二月卒業(朝鮮史学を専攻す)
昭和 ハ 年四月 京城帝国大学助手(八年二月末まで)
昭和 八 年四月 朝鮮総督府朝鮮史編修会事務嘱託
昭和 十 年四月 朝鮮総督府修史官補
昭和十五年四月  朝鮮総督府修史官
昭和二十年十一月末 帰国(博多上陸)
昭和二十一年 五月 昭和二十一年勅令第二八七号に依り自然退官
昭和二十三年十二月 国立国会図書館主事、国立国会図書館支部東洋文庫資料第二係長に任命さる。 
昭和二十六年四月国立国会図書館司書、支部東洋文庫資料第二係長、翌二七年特別職となる。
昭和三十四年(一九五九)四月中央大学文学部兼任講師を委嘱され、五四年二月末に至る
昭和三十七年(一九六二)二月東京大学より文学博士の学位を授与さる。学位論文「十五・六世紀における李朝貢納制の諸問題」
昭和三十九年(一九六四)四月天理大学文学部兼任講師を委嘱され四十年に至る。
昭和四十年(一九六五)四月東京大学文学部専任講師となる
昭和四十一年(一九六六)十一月お茶の水女子大学文教育学部講師を併任。
昭和四十四年(一九六九)二月東京大学を停年退職す。四月東洋文庫専任研究員、四十七年四月兼任研究員を委
嘱され現在に至る。日本大学文理学部兼任講師を委嘱され、現在に至る。十二月東京
大学文学部講師を委嘱さる。
昭和四十五年(一九七〇)四月東京大学文学部講師を委嘱さる。十二月宮崎大学文学部講師を委嘱きる。
昭和四十七年(一九七二)二月京都大学附属図書館における全国図書館司書漢籍取扱講習会講師を委嘱さる。
四十八年十一月、四十九年十二月ともに東京大学附属図書館における全国図書館司書
漢籍取扱講習会講師を委嘱きる。
昭和五十年(一九七五)四月愛知学院大学文学部兼任講師を委嘱される。


2019年6月20日木曜日

下記の記事は、韓国の中央日報。何が誤りかといえば、「官許」の説明。
江戸時代に、「日本官庁認証地図」などは存在しない。記者の調査不足を物語る好個の事例。しっかりしてください。この程度の記事で、「海賊版」などの見出しは恥ずかしい。


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「竹島は日本の領土」 外務省の古地図は海賊版

2019年06月20日07時29分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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1781年に製作された日本の古地図(上の写真)と1844年に製作された古地図(下の写真)。(写真提供=独島財団)
  (1)1781年に製作された日本の古地図。

  地図上段の円で囲んだ部分が鬱陵島(ウルルンド)と独島(トクド、日本名・竹島)だ。日本の領土を示す色が塗られていない。日本官庁認証地図という意味の「官許」表記がある(上の写真)。

  (2)1844年に製作された古地図で、現在日本外務省のホームページに掲載されたものと同じもの。鬱陵島・独島に日本の領土である意味の黄色で塗りつぶされている。「官許」という文字がない。

  独島財団は「鬱陵島・独島が自国の領土でないことをすでにかなり前から知っていたということ」としながら「日本外務省に掲載された古地図が公式の地図ではない『海賊版』の地図であることを意味する」と明らかにした(下の写真)。