大化の改新で王権を掌握した孝徳天皇は奈良から脱出する。
大坂の上町台地の北にある難波(現在の大阪市中央区法円坂一帯)に難波長柄豊埼宮を建設する。
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https://www.kg-net2005.jp/study/osaka.html からの転載
大阪平野を大阪港から生駒へ東西に中央大通り沿いの断面です。
大阪平野は,大阪港側から大きく西大阪,上町台地,東大阪と区分されます。
- 西大阪:
- 地表より,緩い沖積砂層,軟弱な沖積粘土層,そしてこれ以深は硬い洪積砂礫層と洪積粘土層が交互に順にほぼ水平で堆積しています。緩い沖積砂層は,地震時の液状化発生の対象となります。沖積粘土層は,地盤面に物を載せた場合などに沈下の対象となります。洪積砂礫層は建物の支持層となります。
- 上町台地:
- 上町台地部は西側の上町断層の活動により,大きく隆起し,周辺の海成粘土よりもずいぶんと古い海成粘土が浅い標高で分布しています。
- 東大阪:
- 沖積粘土層は西大阪と同様にほぼ水平に堆積しています。沖積粘土層の下に堆積する洪積粘土層は東側に傾斜しています。
中央大通り沿いの断面「新関西地盤-大阪平野から大阪湾-(2007)」
沖積層
沖積層の堆積物は,最終間氷期以降(約一万年前)に堆積した土砂です。
大阪平野では,港湾部においては層厚30m以上の地域が全体的に分布し,上町台地にそって層厚20m程度の沖積層が東大阪地域にむかって伸びています。
その分布形状は古大阪川およびその他の旧河川に沿っており,淀川~神崎川の地域,寝屋川と大川の合流地域,平野川と第2寝屋川の合流地域,恩地川と寝屋川の合流地域などが周りに比べて層厚が厚くなっています。
沖積相当層 層厚分布「新関西地盤-大阪平野から大阪湾-(2007)」
https://murata35.chicappa.jp/kansaitanboki/2000.07/uemati/uematitanbo.htm
https://smtrc.jp/town-archives/city/uemachidaichi/p09.html
UE_03_uemachi.pdf
ところで、当時の国家的港津である難波津の所在について中尾(2010)は、三津寺にあったとする
千田(2001)説、高麗橋付近にあったとする日下(1985)説、内湾(河内湖側)にあったとする木原(1996)
説などの説を紹介している。一方、道修町の入江は、泥質な底質が維持され、古代の遺物が多く出土
している。その南岸の河口州 1 は弥生時代以降大きな侵食を受けることなく安定しており、松尾(2004)
はここに港湾施設があったと考えている。
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