2024年7月18日木曜日

「山の手のコリアタウン」と「低地のコリアタウン」

河野通明著「大阪府の在来犂 Ⅱ ―渡来人の動向と泉南・紀北圏の復原」を拝読した。意欲的な力作である。考古学者の視野が拡大し、かってのように発掘現場及び発掘資料の詳細な説明に終始していたのと、大きく様変わりした感を抱かせた。例えば、

 「高燥な西宮~豊中地区を「山の手のコリアタウン」 とするなら,生活条件の悪い葦原の

  大阪中央低地はさしずめ「低地のコリアタウン」であろう」

という指摘である。河野氏の分析視点は「民具からの歴史学」であるので、発掘現場の自然環境や、規模、発掘状況、出土品の点数などなどの記述から解き放たれている。

 もう少し河野氏の論述に沿って説明を加えるならば、「山の手のコリアタウン」とは、

 「西宮・尼崎・ 豊中・伊丹市と宝塚市南部を含む広大な地域で,ここは生活するには条件  

  のいい高燥な地であ る。」

であるのに対して、「低地のコリアタウン」とは、

  「寝屋川・四条畷・大東・東大阪市の低地部分と守口・門真市全域,そ れに大阪市域の

   低地部分で,淀川下流と旧大和川の下流の河内湖周辺の葦原で生活条件の悪い低 湿地

   部分」(同論文、88頁)

であり,二つの立地条件は対照的であるという。

 ここで、河野氏の独自の研究視点を紹介しても、むしろ遅いほどであろう。

 「これまでの渡来人研究は無意識のうちに「渡来人=すぐれた技 術者」という先入観に支  

  配されて,難民や自主避難してきた渡来人など「弱者としての渡来人」 が視野から落ち

  ているように思われる。このうち難民に関しては河野「民具から見た百済・高句 麗難民

  の動向」(2010)で,これまでの渡来人研究では「難民」の概念はないことを指

  摘,『日本 書紀』に「百済の男女二千余人」など記される人々は「難民」と捉えるべき

  であり,この観点に 立てば『日本書紀』からも場所は特定できないものの「難民キャン

  プ」の存在は確認できるこ と。」(同論文、91頁)

とあるように、「難民や自主避難してきた渡来人など『弱者としての渡来人』」の分析視点である。この斬新さは論を俟たないのは、これまで「渡来人=先進文化」イメージ一色であったからである。





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