2020年4月25日土曜日

朝鮮薺浦倭館の跡地を発見



日本との交易のために設置した朝鮮薺浦倭館の跡地を発見

Posted March. 13, 2019 08:05,   
Updated March. 13, 2019 08:05

15~16世紀の朝鮮と日本の自由貿易地帯だった「三浦倭館」の中で、唯一現存する薺浦(チェポ)倭館の跡地が初めて確認された。韓日関係が最悪状況である中、朝鮮と倭(日本)の善隣友好の交流を示す韓日関係史の重要な考古学的発掘だという評価だ。

文化財庁の許可を得て、慶尚南道昌原市鎮海区薺德洞(キョンサンナムド・チャンウォンシ・チンヘグ・チェドクドン)一帯で発掘調査を行ったトゥリュ文化財研究院は、「昨年行った発掘調査で、朝鮮初期から蛇梁鎭(サリャンジン)倭變(1544年)が勃発するまで運営した薺浦倭館の跡地を確認した」と、12日明らかにした。

薺浦倭館の跡地が発見されたのは、薺德湾とその周辺のネンイ峠の間に位置する約7302平方メートルの区域で、4階の規模で造成された大規模な階段式地形が確認された。堤防とフェンス、基壇の建物址など、住居関連遺跡だけでなく、当時使用した陶器や瓦の破片など、数百点が大量に出土された。

朝鮮時代の倭館の実際の遺跡地が、発掘調査を通じて確認されたのは今回が初めてだ。薺浦をはじめとする三浦倭館は、申叔舟(シン・スクジュ、1417~1475)の「海東諸国紀」(1471年)に収録された古地図などで位置を間接的に推定してきた。残りの釜山浦(プサンポ)倭館と鹽浦(ヨムポ)倭館(蔚山)の跡地は、現代に入っては、それぞれ釜山鎭市場と現代(ヒョンデ)自工場の敷地として使われているので、遺跡地を確認できない。そのため、学界では唯一無二の倭館の跡地という点で、今回の発掘調査の意味が大きいと評価している。

韓国考古学会のイ・チョンギュ会長(嶺南大学文化人類学教授)は、「韓半島に残っている日本関連遺跡は、そのほとんどが朝鮮に侵入して造成した恥辱の歴史を想起させるのに対し、薺浦倭館は朝鮮が交易を希望する倭に土地を割愛して建物を造成した遺跡地という点で、大きな意味がある」とし、「韓日両国の善隣・友好の歴史を示す薺浦倭館の遺跡地が、硬直されている韓日関係を解決していく糸口になればと思う」と話した。


柳原模 onemore@donga.com

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2020年4月13日月曜日

百済の赤漆カン木厨子とは

正倉院に残る宝物に「国家珍宝帳」(「東大寺献納物帳」)がある、それによると、百済の義慈王が藤原鎌足に贈った品が記載されている。
赤漆カン木厨子である。象牙に多色の文様を付けた品。碁石大である。

百済や新羅に存在した「楊」(양)氏

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奈良の正倉院に伝わる高麗組と呼ばれる紐、長さ147センチ。
黄色を主体とした斜め格子文様。
今の韓国で復元してほしい。

2020年4月4日土曜日

百済琴

復元百済琴
箜篌(模造) 東京国立博物館 H-3378 (原品 : 螺鈿槽箜篌 正倉院 南倉 73) C0015327 箜篌(模造) - 東京国立博物館 画像検索 楽器, 椅子, 家具, 室内装飾


正倉院には、18種75点(残欠を含む)の楽器が伝来している。その中でも、インド系直頸琵である五絃琵琶(螺鈿紫檀五絃琵琶)の実物が現存する。バチがあたる部分(捍撥)に、ラクダに乗った人物が曲頸の琵琶を弾く姿が螺鈿で表現されており、西域に由来するにひがいない。この五絃琵琶のための楽譜『五絃琴譜』(陽明文庫)が残されている。成立は平安時代中期以降だが、所収曲は奈良時代末期か。所収二十二曲は、大半が八世紀ごろに唐の宮廷で行われた法曲・胡楽であった。日本に伝来した胡楽すなわち西域系音楽である。

 一方、正倉院には、「瑇瑁螺鈿箜篌」と称する箜篌(くご)の残欠も保存されており、
それを「百済琴」と称した。箜篌すなわちハープである。
 『倭名類聚集』4琴瑟に、
「箜◆(竹+侯) 唐韵云 箜篌 (空侯二音 俗云如江湖二音、楊氏漢語抄云 百済琴也 和名久太良古止) 楽器也」
とある。 「百済琴也 和名久太良古止」とあることで、「くたらこと」と読んだらしい。濁音ではなく、清音。俗には、「江湖」とあるので「コウコウ」と称した。
さて、後漢の古詩「孔雀東南飛」には、
  「十三能織素、十四学裁衣、十五弾箜篌、十六誦詩書、十七為君婦」
とあり、箜篌は女性の嗜みであったようだ、『後漢書』五行志には、
  「霊帝好胡服、胡帳、胡状、胡飲、胡箜篌、胡笛、胡舞、京都貴戚皆競為之、此服妖也」
とあり、中国でシルクロードブームが起きていた。
 さて、『文献通考』楽考には、
  「高麗等国、有箜篌臥箜篌之楽、其引則朝鮮津卒霍里子高所作也」
とあり、朝鮮に伝播していった。



信西古楽図しんぜいこがくず

  • 江戸時代 宝暦五年(一七五五) 原本:宝徳元年(一四四九)
  • 紙本墨画
  • 所蔵 東京藝術大学大学美術館

    ファイル:Kugo.jpg - Wikipedia


ちなみに、朝鮮半島には、百済式箜篌は現存しない。しかし、江原道上院寺銅鐘に刻印された、
上院寺 銅鐘

には、朝鮮式ハープを認める。