日本との交易のために設置した朝鮮薺浦倭館の跡地を発見
Posted March. 13, 2019 08:05,
Updated March. 13, 2019 08:05
15~16世紀の朝鮮と日本の自由貿易地帯だった「三浦倭館」の中で、唯一現存する薺浦(チェポ)倭館の跡地が初めて確認された。韓日関係が最悪状況である中、朝鮮と倭(日本)の善隣友好の交流を示す韓日関係史の重要な考古学的発掘だという評価だ。
文化財庁の許可を得て、慶尚南道昌原市鎮海区薺德洞(キョンサンナムド・チャンウォンシ・チンヘグ・チェドクドン)一帯で発掘調査を行ったトゥリュ文化財研究院は、「昨年行った発掘調査で、朝鮮初期から蛇梁鎭(サリャンジン)倭變(1544年)が勃発するまで運営した薺浦倭館の跡地を確認した」と、12日明らかにした。
薺浦倭館の跡地が発見されたのは、薺德湾とその周辺のネンイ峠の間に位置する約7302平方メートルの区域で、4階の規模で造成された大規模な階段式地形が確認された。堤防とフェンス、基壇の建物址など、住居関連遺跡だけでなく、当時使用した陶器や瓦の破片など、数百点が大量に出土された。
朝鮮時代の倭館の実際の遺跡地が、発掘調査を通じて確認されたのは今回が初めてだ。薺浦をはじめとする三浦倭館は、申叔舟(シン・スクジュ、1417~1475)の「海東諸国紀」(1471年)に収録された古地図などで位置を間接的に推定してきた。残りの釜山浦(プサンポ)倭館と鹽浦(ヨムポ)倭館(蔚山)の跡地は、現代に入っては、それぞれ釜山鎭市場と現代(ヒョンデ)自工場の敷地として使われているので、遺跡地を確認できない。そのため、学界では唯一無二の倭館の跡地という点で、今回の発掘調査の意味が大きいと評価している。
韓国考古学会のイ・チョンギュ会長(嶺南大学文化人類学教授)は、「韓半島に残っている日本関連遺跡は、そのほとんどが朝鮮に侵入して造成した恥辱の歴史を想起させるのに対し、薺浦倭館は朝鮮が交易を希望する倭に土地を割愛して建物を造成した遺跡地という点で、大きな意味がある」とし、「韓日両国の善隣・友好の歴史を示す薺浦倭館の遺跡地が、硬直されている韓日関係を解決していく糸口になればと思う」と話した。
柳原模 onemore@donga.com
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