文禄慶長の役における激戦の一つに、加藤清正が立て籠もった蔚山城攻防がある。
울산に반구정がある。ここはその昔、浅野幸長の持ち口であった「浅野丸」があった場所である。この浅野丸に関しては、浅野家文書蔚山籠城覚書に詳しいが、12月23日の明軍との戦闘に破れた浅野幸長らは本城である蔚山城に引き上げたとある。
なお、かって、大河内秀元『朝鮮物語』によると、蔚山城南面は海であったと知る。
「総構、南は海なれば、堀もなし。柵も付けず」
とある。
ところで、蔚山城攻防での明軍の死者は
4700人 城廻
1362人 龍造寺城より川はた
1920人 大山の廻
953人 まきの島
820人 西の古くわんの廻
350人 是も大山廻
281人 大山川と川はたの間
合計 1万386人
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