この方の大成を祈ります。
本当に優れた学生であった
私の教職時代、六反田豊君、樋口晶子君も素晴らしい学生であった。我が誇りである。
奈良時代前後における疫病流行の研究 ―『続日本紀』に見る疫病関連記事を中心に
に紹介された関係文献
富士川游著・松田道雄解説『日本疾病史』(平凡社,1969年)66頁。 4) 『日本疾病史』 9 頁。 5) 富士川游(『日本医学史』(裳華房,1904年)。富士川游著・松田道雄解説『日本疾病史』。 6) 山崎佐『日本疫史及防疫史』(克誠堂書店,1931年)。山崎佐『江戸期前日本医事法制の研究』(中外医学社,1953 年)。 7) 服部敏良『奈良時代医学の研究』(東京堂,1945年)。服部敏良『平安時代医学の研究』(桑名文星堂,1955年)。8) 中島陽一郎『病気日本史』(雄山閣,1995年)。 9) 新村拓『古代医療官人制の研究』(法政大学出版局,1983年)。新村拓『日本医療社会史の研究:古代中世の民衆生 活と医療』(法政大学出版局,1985年)。新村拓編『日本医療史』(吉川弘文館,2006年)。 10) 酒井シヅ『日本の医療史』(東京書籍,1982年)。酒井シヅ編『疫病の時代』(大修館書店,1999年)。酒井シヅ『病 が語る日本史』(講談社,2008年)。 11) 立川昭二『日本人の病歴』(中央公論社,1976年)。 12) 福原栄太郎「天平 9 年の疫病流行とその政治的影響について―古代環境とその影響についての予備考察」(『神戸 山手大学環境文化研究所紀要』第 4 号,2000年)27~39頁。 13) 野崎千佳子「天平 7 年・ 9 年に流行した疫病に関する一考察」(『法政史学』第53号,2000年)35~49頁。 14) 今津勝紀「古代災害と地域社会―飢饉と疫病―」(『歴史科学』第196号(2008年度〔大阪歴史科学協議会〕大会 特集号 前近代社会地域社会論の再構築),2009年) 2 ~16頁。 15) 浅見益吉郎「『続日本紀』に見る飢と疫と災―奈良時代前後における庶民生活の生活衛生学概観」(『京都女子大学 食物学会誌』第34号,1979年)。浅見益吉郎・新江田絹代「六国後半に見る飢と疫と災―平安時代初期における庶 民生活の生活衛生学概観」(『京都女子大学食物学会誌』第35号,1980年)。 16) グラ・アレクサンドル「 8 ~ 9 世紀における飢疫発生記録に関する一考察」(『アジア遊学』第79号,2005年)96~ 113頁。 奈良時代前後における疫病流行の研究(董) 491
偶然にインターネットで見つけた記事
http://www1.tcnet.ne.jp/hanahide/tennpyou9nenn.htm
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典薬寮勘申 疱瘡治方事
傷寒後禁食順天倭城
この城の背後が海であった写真。埋め立てる数年前であった。
補給路、通信路、兵員輸送路などは
全て海上ルートであった。
ただし、天守閣付近の石垣はすでに業者によって修復済みであった。どれほど原型を残しているかは不明。ただし、それ以外の城跡には手を加えたと思われない。
「宣光七年丁巳七月日 淸州牧外興德寺鑄字印施」(宣光7年丁巳7月 日に清州牧の外の興徳寺で金属活字で印刷した)とは、忠清北道清州市にあった興徳寺で印刷された『直指』の末尾の一文である。西洋のグーテンベルクの印刷術より63年も前に印刷された『「白雲和尚抄録仏祖直指心体要節」』である。
現存する最古の金属活字本である『直指』に関して、今、印刷術ではなく、「興徳寺」に注目すれば、この寺が「禅宗」に属する寺刹であることだ。
興徳寺の来歴を語らず、印刷術のみを称賛するのも一方的である。
お寺に関する情報は少なくない。探さないだけ。