2023年4月25日火曜日

我が生涯で、稀な100点

 この方の大成を祈ります。

本当に優れた学生であった


私の教職時代、六反田豊君、樋口晶子君も素晴らしい学生であった。我が誇りである。


2023年4月20日木曜日

我が宝物

 旅に風狂を求めた芭蕉であれば、筆墨硯紙

の選択に迷うが、私の宝物はクマモン袋物。

このマスコット図像を見ていると、なにか元気が出る。

ありがたい。


さて、このペン入れ袋も遠くに旅立つだろう。


2023年4月18日火曜日

第14代 沈寿官先生と共に

第14代 沈寿官先生

その風貌、そして佇まいは気品ある人物であった。








 

 

2023年4月8日土曜日

天平年間に流行した疫病ー関係文献

 奈良時代前後における疫病流行の研究 ―『続日本紀』に見る疫病関連記事を中心に 

に紹介された関係文献

富士川游著・松田道雄解説『日本疾病史』(平凡社,1969年)66頁。 4) 『日本疾病史』 9 頁。 5) 富士川游(『日本医学史』(裳華房,1904年)。富士川游著・松田道雄解説『日本疾病史』。 6) 山崎佐『日本疫史及防疫史』(克誠堂書店,1931年)。山崎佐『江戸期前日本医事法制の研究』(中外医学社,1953 年)。 7) 服部敏良『奈良時代医学の研究』(東京堂,1945年)。服部敏良『平安時代医学の研究』(桑名文星堂,1955年)。8) 中島陽一郎『病気日本史』(雄山閣,1995年)。 9) 新村拓『古代医療官人制の研究』(法政大学出版局,1983年)。新村拓『日本医療社会史の研究:古代中世の民衆生 活と医療』(法政大学出版局,1985年)。新村拓編『日本医療史』(吉川弘文館,2006年)。 10) 酒井シヅ『日本の医療史』(東京書籍,1982年)。酒井シヅ編『疫病の時代』(大修館書店,1999年)。酒井シヅ『病 が語る日本史』(講談社,2008年)。 11) 立川昭二『日本人の病歴』(中央公論社,1976年)。 12) 福原栄太郎「天平 9 年の疫病流行とその政治的影響について古代環境とその影響についての予備考察」(『神戸 山手大学環境文化研究所紀要』第 4 号,2000年)2739頁。 13) 野崎千佳子「天平 7 年・ 9 年に流行した疫病に関する一考察」(『法政史学』第53号,2000年)3549頁。 14) 今津勝紀「古代災害と地域社会飢饉と疫病」(『歴史科学』第196号(2008年度〔大阪歴史科学協議会〕大会 特集号 前近代社会地域社会論の再構築),2009年) 2 16頁。 15) 浅見益吉郎「『続日本紀』に見る飢と疫と災奈良時代前後における庶民生活の生活衛生学概観」(『京都女子大学 食物学会誌』第34号,1979年)。浅見益吉郎・新江田絹代「六国後半に見る飢と疫と災平安時代初期における庶 民生活の生活衛生学概観」(『京都女子大学食物学会誌』第35号,1980年)。 16) グラ・アレクサンドル「 8  9 世紀における飢疫発生記録に関する一考察」(『アジア遊学』第79号,2005年)96 113頁。 奈良時代前後における疫病流行の研究(董) 491 


天平九年 典薬寮勘申  疱瘡治方事ー高岡市万葉歴史館の  天平9年川崎 晃先生による現代文

 偶然にインターネットで見つけた記事


http://www1.tcnet.ne.jp/hanahide/tennpyou9nenn.htm


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典薬寮勘申  疱瘡治方事

 傷寒後禁食
   勿飲水、損心胞掌灸不能臥
   大飲食、病後致死
   又勿食肥魚膩魚膾、生魚類、鯉鮪蝦蛆鯖鯵年魚鱸、令泄痢不復救
   又五辛食之、眼精失不明、又諸生菜菓、
   又生魚食之勿酒飲、泄利菜難治、又油脂物、難治
   又蒜與膾合食、令人損、苽與膾合食、病後発
   又飲酒陰陽復病、死病愈後大忌、大食飲酒酔飲水
 傷寒豌豆病治方
   初発覚欲作、即煮大黄五両服之
   又青木香二両、水三升煮取1升、頓服、又取好蜜通身麻子瘡上
   又黄連三両、以水二升煮取八合、服之、又小豆粉和鶏子白付之
   又取月汁水和浴之   
   又婦人月布拭小児
 豌豆瘡滅瘢
   以黄土未塗之、又鷹矢粉土和于猪脂塗上、又胡粉塗上、又白疅未付之
右依、宣旨勧申
   天平九年六月   日   頭
典薬寮勘申  疱瘡治方事

奈良時代医学史の研究 服部敏良 吉川弘文館

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ここからの 典薬寮勘申  疱瘡治方事の訳文は
高岡市万葉歴史館の  川崎 晃先生にお願いして現代文にして頂いたものです

傷寒後禁食
1、水を飲んではならない
2、食べ過ぎ、飲み過ぎは、死ぬ危険もある。
3、脂肪分の多い魚の膾や、鯉、鮪、蝦・カ、鯖、鯵・年魚・鱸などの生魚を食べてはならない。下痢をする。
4、五種の辛味のある蔬菜を食べると、目に悪い。
5、また、生野菜・果物は火を通すこと。
6、また、生魚を食べたら飲酒してはいけない。下痢が治らない。
7、また脂肪分の多い食物をとると治りにくい。
8、蒜と膾を食べ合わせてはいけない。害がある。
9、瓜と膾の食べ合わせは病気をおこす。
10、飲酒は病気をおこし、死に至らしめる。
11、生野菜を食べるとまた病となり死ぬ危険がある。
12、病後、食べ過ぎ、酒の飲み過ぎ、水の飲み過ぎに注意<汗が出ればよい。>

傷寒豌豆病治方
13、発病したら、大黄五両を煎じて服用させる。
14、青木香二両と水三升を煮て、一升を取って、一度に服用する。
15、良い蜜を痘瘡の瘡(かさ)に塗布する。
16、黄連三両を、水二升と混ぜて煮て、八合を服用させる。
17、小豆粉を卵白に混ぜてこれを塗布する。
18、月経水をとって水に混ぜ入浴する。
19、月布(生理用品)で小児をぬぐう。

天然痘の瘡痕(あばた)の治療法
20、黄土の粉末を塗布する。
21、鷹矢粉土と猪の脂を混ぜて塗布する。
22、胡粉を塗布する。
23、また、白?末を塗布する。
24、蜜を塗布する。

以上、宣旨によって答申する。
天平九年六月 日 頭

順天倭城

 順天倭城

この城の背後が海であった写真。埋め立てる数年前であった。

補給路、通信路、兵員輸送路などは

全て海上ルートであった。

ただし、天守閣付近の石垣はすでに業者によって修復済みであった。どれほど原型を残しているかは不明。ただし、それ以外の城跡には手を加えたと思われない。










2023年4月3日月曜日

李朝実録の「焼木と吐木」

 「焼木」とは「塩竈在処、焼木甚穿」(世宗実録27年8月戊辰)とある。

一方、㉀「吐木」とは「雑木、短截者俗謂之吐木」(中宗実録5年4月癸巳)

現存する最古の金属活字本『白雲和尚抄録仏祖直指心体要節』と興徳寺

 「宣光七年丁巳七月日 淸州牧外興德寺鑄字印施」(宣光7年丁巳7月 日に清州牧の外の興徳寺で金属活字で印刷した)とは、忠清北道清州市にあった興徳寺で印刷された『直指』の末尾の一文である。西洋のグーテンベルクの印刷術より63年も前に印刷された『「白雲和尚抄録仏祖直指心体要節」』である。

 現存する最古の金属活字本である『直指』に関して、今、印刷術ではなく、「興徳寺」に注目すれば、この寺が「禅宗」に属する寺刹であることだ。

 興徳寺の来歴を語らず、印刷術のみを称賛するのも一方的である。

お寺に関する情報は少なくない。探さないだけ。