学問の面白さは、仮説の立て方にある。
*東大寺大仏開眼会と仏教伝来二百年」『美術史研究』9 昭和47年3月刊
を一読するとよくわかる。吉村氏の発想は、大仏がまだ完成していないのに、天平勝宝4年(752)に開眼をすることにこだわったのは、なぜか、という点である。吉村氏によると、聖武天皇は仏教伝来200年を強く意識し、その年の開眼供養を挙行したいと願ったという。
学問の面白さは、仮説の立て方にある。
*東大寺大仏開眼会と仏教伝来二百年」『美術史研究』9 昭和47年3月刊
を一読するとよくわかる。吉村氏の発想は、大仏がまだ完成していないのに、天平勝宝4年(752)に開眼をすることにこだわったのは、なぜか、という点である。吉村氏によると、聖武天皇は仏教伝来200年を強く意識し、その年の開眼供養を挙行したいと願ったという。
朝鮮半島の市場に「六矣廛」があったこと知る者にとって、下記の古代日本の用例は気になる。
木簡には、
* 東□〔市ヵ〕交易銭計絁廛人服部・真吉
とあり、「東□〔市ヵ〕」に「交易銭計」する「絁」を売買する「廛」(いちぐち)人である「服部・真吉」という名の商人がいたとある。
ここで問題としたいのは、日本古代史の方々が「廛」を「軒を連ねた店舗」と解しているのに対して、朝鮮半島では「朝鮮時代の首都漢城に存在した商人の組織」である「廛」と説明していることである。
この差異は今後の史料発掘で解明していきたい。
■詳細
| URL | https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AADFG27000145 | |
|---|---|---|
| 木簡番号 | 0 | |
| 本文 | ・東□〔市ヵ〕交易銭計絁廛人服部・真吉 | |
| 寸法(mm) | 縦 | (94) |
| 横 | 16 | |
| 厚さ | 3 | |
| 型式番号 | 039 | |
| 出典 | 木研6-11頁-2(18)( | |
| 文字説明 | ||
| 形状 | 下欠。 | |
| 樹種 | ||
| 木取り | ||
| 遺跡名 | 平城宮第二次大極殿院・内裏東方官衙地区 | |
| 所在地 | 奈良県奈良市佐紀町 | |
| 調査主体 | 奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部 | |
| 発掘次数 | 154 | |
| 遺構番号 | SD2700 | |
| 地区名 | 6AADFG27 | |
| 内容分類 | 荷札 | |
| 国郡郷里 | 大和国添上郡〈平城京左京東市〉 | |
| 人名 | 服部真吉 | |
| 和暦 | ||
| 西暦 | ||
| 木簡説明 | ||
■詳細
| URL | https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AADFG27000145 | |
|---|---|---|
| 木簡番号 | 0 | |
| 本文 | ・東□〔市ヵ〕交易銭計絁廛人服部・真吉 | |
| 寸法(mm) | 縦 | (94) |
| 横 | 16 | |
| 厚さ | 3 | |
| 型式番号 | 039 | |
| 出典 | 木研6-11頁-2(18)( | |
| 文字説明 | ||
| 形状 | 下欠。 | |
| 樹種 | ||
| 木取り | ||
| 遺跡名 | 平城宮第二次大極殿院・内裏東方官衙地区 | |
| 所在地 | 奈良県奈良市佐紀町 | |
| 調査主体 | 奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部 | |
| 発掘次数 | 154 | |
| 遺構番号 | SD2700 | |
| 地区名 | 6AADFG27 | |
| 内容分類 | 荷札 | |
| 国郡郷里 | 大和国添上郡〈平城京左京東市〉 | |
| 人名 | 服部真吉 | |