古代人名の読みは一筋縄に行かないのは周知に事実である。
ベテランの万葉学者にしても、その読みに無関心な方がおいでである。
例えば、
*内蔵忌寸縄麻呂
のばあいである。「(すけくらのいみきつなまろ)」(全注)などと読む。
しかしながら、奈良時代に即してみれば、
*(すけくらのいみきただまろ)
と読むべきである。
したがって、慶雲4年(770)5月9日、従三位民部卿藤原朝臣縄麻呂が正倉院より屏風三帖を借用したときの「縄麻呂」も、当然ながら「タダまろ」と読む。
また、『続日本紀』の
*
《宝亀6年(775)正月庚戌【16】》○庚戌。従五位下参河王。伊刀王。田上王並授従五位上。従四位上藤原朝臣家依。大伴宿禰伯麻呂並正四位下。正五位下多治比真人木人正五位上。従五位下高向朝臣家主。藤原朝臣鷲取。中臣習宜朝臣山守。佐伯宿禰国守並従五位上。外従五位上坂上忌寸老人。外従五位下浄岡連広嶋。正六位上百済王玄鏡。坂本朝臣縄麻呂。小治田朝臣諸成。田中朝臣難波麻呂。大伴宿禰上足並従五位下。正六位上高市連屋守。越智直入立並外従五位下。」事畢宴於五位已上。賜禄有差。
も同様である。
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