2023年12月8日金曜日

道鏡が急がせた十一面経卅巻 孔雀王呪経一部の写経

 2023年度の正倉院展で我々の関心を引くのは

牒 東大寺司所

合可奉写経四十巻
 十一面経卅巻 孔雀王呪経一部
  右、従来月六日以前可写畢、故牒、

                字七年六月卅日

                   法師道鏡」
正集7断簡2(2)  5/447~448))

の道鏡自筆の文書である。天平宝字7年(763年)6月30日の命によると、道鏡は「写経所」を管轄する役所「造東大寺司」に、6日以内に写経40巻(十一面経卅巻 孔雀王呪経一部))を終了せよという。

これ以外にも、道鏡の命による写経指示は多かったと予想さるが、今、上記の「十一面教」が、耶舎幅多訳『仏説十 面観世音神呪経~ (北周・天和 5 年 (570)か?)と阿地塵多訳『陀羅尼集経』所収『十一面観世音神呪経』 (唐 ・永徽 5年 (654))であるとすれば、なぜ、この経典の写経を急がせたかを想像したい。


とはいえ、仏教に全く素養がないだけに、すべては佐々木守俊氏の研究に全面的に依拠することを予めお断りしたい。

(「出現す るほとけ一密教経軌の記載を中心に」 佐々木守俊 rpkp_023_015_025.pdf (okayama-u.ac.jp)) 


「 『十一面観世音神呪経』とおなじく『陀羅尼集経』におさめられる 『般若波羅蜜多大心経』には、「諸仏菩薩金剛天等Jを供養する功徳と して、彫像の放光から見仏にいたる 10の瑞相が説かれる 。まずは供養 の方法である。 若人欲得日日供養十方一切諸仏菩薩金剛天等者。若在房内及仏殿中。 而供養之。 (中略)当設二十一種供養之具。 作般若波羅蜜多法会。 (中 略)一者厳飾道場安置尊像。復以種種香。所調龍脳丁香。欝金沈水。 香湯浴像還置本処。二者像前当作水壇。三者龍脳沈水。上妙香等用塗 像身。四者諸妙花露。絞培仏身左右肩上。五者頂掛天冠。 六者宝釧理 落荘厳仏身。 (「諸仏菩薩金剛天等」の供養は「房内」または 「仏殿中 」でおこなわ れ、 21種の「供養の具j が用いられる 。道場に安置された「尊像 Jに は香湯を浴びせ、香を塗り、花童を肩上にからめ、「天冠Jを頂に掛け、 宝釧理培で仏身を荘厳するとある 。以上の記述から、「尊像」とは彫像 であることがわかる。そして、供養の結果として「十種瑞相」が説か れる。 

一者 像上放光。 

二者 風不吹市道場中幡自然動揺。

三者 雲不覆雨天有 雷声。

四者 道場中燈長 三 四尺。 

五者 香鋪中人不焼香市香畑自出。 

六者  空中間有種種音楽之声。 

七者 感得四方無事福寿延年無諸疾病。 師子虎 狼諸毒虫等不能為害。

八者 於五欲境心無染著。

九者 諸魔鬼神不能焼乱。 自他之病療即除癒。

十者 見仏菩薩金剛天等。若於夢中見仏菩薩。或昇 高山。或上高樹。 乗船度岸。或騎象馬。 

 「ー」は「像上の放光」である。「像上」とは像の表面という意味だ ろう 。放光は仏像の起こす奇瑞では代表的なものである 。「二」は、風 がないのに道場中の幡が「自然に動揺」する 。「自然動揺」は十一面観 音像の奇瑞についても用いられた表現であり、ほとけの本体の来臨を 示唆している可能性が考えられる。「 三J~「六」は、雲がないのに雷 鳴が聞こえ、燈明が長く伸び、焼香しないのに香煙が出、空中に音楽 が聞こえるといった奇瑞である。「七 J~「九」ではもろもろの功徳が 得られると説く 。そして「十Jでは、「仏菩薩金剛天等」を み る、もし くは夢中に「仏菩薩Jをみる功徳が説かれるのである。ほとけたちは あるいは高 山や高樹に登り、あるいは船や象 ・馬に乗るという 。 この ほとけたちが本体なのか、それとも本尊として道場内に安置された仏 像が動いているのかは明確でないが、十一 面観音のぱあいを 参考にす れば、瑞相の最終段階としての見仏は「仏菩薩金剛天等」の来臨を念頭に置いて記載されていると考えてよいだろう 。」

そして、

「とくに重要と思われるのは、「聖者」が行者の前に「現れる 」と 明記されている点である。」(上掲書、7頁)

にも深い関心を払っておきたい。

私論であり、佐々木氏とは無関係であるが、「聖者」は孝謙上皇(称徳天皇)であり、「行者」とは道鏡だと考えられる。



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