『続日本紀』天平18年12月是歳の条に、
「 是年、渤海人及鐵利惣一千一百餘人、慕化來朝、安置出羽國、給衣糧、放還」
「癸巳、敕陸奥、出羽等國、用常陸調絁、相模庸綿、陸奥稅布、充渤海、鐵利等祿、又敕、在出羽國蕃人三百五十九人、今屬嚴寒、海路艱險、若情願今年留滯者、宜恣聽之」
とあり、ここにも「渤海と鉄利」の名を見る。併せて、出羽国には約1450名の渡来者が記述されている。その当時の出羽国の人口は数万人であったと推定しているので、その比率は限りなく大きい。
注目するのは、この記述形式であり、「渤海人及鐵利」のように、渤海には「人」が付き、鉄利にはそれがないことである。その記載差に注目すれば、渤海は国家として認め、鉄利は国家名ではなく、部族名であるとさえ想到してもかまないだろう。
「
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