2019年3月3日日曜日

朝鮮談判記録






























































小田幾五郎の墓誌

少し前に、対馬を再訪した。海岸寺に行き、小田幾五郎の墓前に詣でた。我が敬愛する対馬藩朝鮮語通詞の小田幾五郎研究に着手してから、すでに30年余り。
遅々として研究は進展しないが、それでも昨年、彼の肉筆で書き記されたハングル書簡を手にして、岸田文隆先生との共編『朝鮮通信使易地聘礼交渉の舞台裏─対馬宗家文庫ハングル書簡から読み解く (九州大学韓国研究センター叢書)』を上梓したのは、せめてもの喜びである。小田幾五郎の親戚筋に当たる故大浦望人司氏への恩返しの一部である。

なお、大浦家の墓域に関しては、山口加代氏の紹介がある。

2019年2月12日火曜日

UCLA John  Duncan教授の写真


金鐘泌元国務総理の話

金鐘泌元国務総理(1926年1月7日 - 2018年6月23日)は、忠清南道扶余郡出身。本貫は、金海金氏。号は雲庭(운정)、略称は「JP」。金元国務総理とは10回以上お目にかかった。最後の出会い時には、ホテル新羅の中国料理店にご招待を受け、共に麺を食した。
忘れ得ぬ思い出話は、例のクーデターの顛末である。長時間お聞きした話は別に記述することとしたい。

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2019年2月11日月曜日

大野晋先生の写真と思い出

大野晋先生の写真
学問を愛し、学問に没頭し、学問を語り続けた大野晋先生であった。そして、口癖は「今、何を研究しているんだ?」。