2017年11月11日土曜日

人呼んで「陸士8期生」のスター:金鐘泌先生

金鐘泌先生は「陸士8期生」の一人である。1948年12月8日、ソウル郊外にあった陸軍士官学校に入学した1800人あまり。平均年齢、22歳前後。学歴要件は中学校卒業以上。民間出身者は6ヶ月、軍歴を持つものは3ヶ月で卒業。1949年5月、金鐘泌先生は8番で卒業。
 朝鮮戦争時に、金鐘泌先生は中尉として戦場にたった。休戦時には少佐であった。
1960年5月段階では、中佐に昇進していた金鐘泌先生は、張勉政権に不満を持つ八期生8人、吉在号・金炯旭などと共にクーデター計画に着する。
 1960年9月、金鐘泌・金炯旭ら陸士8期生11名はソウルの東和デパート東向かいの食堂「忠武荘」に集合し、夜ごとクーデター計画を練り上げた。そして、クーデター前夜の打ち合わせは、???。1961年5月16日午前3時、軍事クーデターが実施される。海兵隊第1旅団と空挺部隊はソウルの南部から漢江橋を渡り、ソウルに突撃。陸軍第6軍団砲兵隊はソウル北部のミアリ峠を越えた。ソウルに無血突入した兵士は約3千名。米軍と韓国軍第1軍の動きがクーデターの成否を決定した。

ちなみに金鐘泌先生は朴正熙大統領の実兄の娘婿。

金先生から直接に聞いた話の中で、絶対におもしろいのが、
*朴正熙と共に軍事革命計画を練り上げた話
であった。すでに多くの方々の衆知の事実であろうから、改めてこの場で紹介するまでもないだろう。実に愉快な話が仁寺洞の旅館事件。軍事クーデター前夜の緊張感漂う雰囲気の中での「笑い話」である。
もう一つは、
*自民党の大野伴睦副総裁、熱海の別荘訪問
の話である。この話は日韓正常化会談の交渉経緯を語るに欠かせないが、あまりにも愉快すぎて、これも口外するわけにいかない。

金鐘泌先生に10回以上お目にかかっったが、豊かな人間的魅力に富み、加えて頭脳明晰であった。

仮に再会が許されれば、
1)韓国軍の南ベトナム派兵の舞台裏
2)初代中央情報部長時代の実話
3)



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