韓国看護史ーー1880年代から1940年代まで
旧韓末の看護 -
(1)1897年、大韓帝国成立後、鎖国体制から脱却
① 宣教師たちによって初期西洋式医療が流入⇒看護においても、外国人宣教師によって正式な看護教育が開始され、卒業生が輩出され、専門職としての看護師が登場
② キリスト教布教を目的とした欧米諸国の宣教師によって始められた看護は、
1)当初から韓国看護は西洋式システムであったこと。
2)看護のバックボーンは献身であると定めたこと
3)看護師養成のみならず、多くの女性の社会参加を促進したこと
4)看護師養成は、西洋式病院付属の看護師養成所であること
5)社会進出を助ける看護師の組織体ができていたこと
6)最初の名称は「看護員」であったが、1907年に設立された大韓医院(ソウル)で用いられた「看護婦」が日本統治期では使用。
(2)1910年以前の日本式病院の設立と看護師養成
①日本居留地に開設された最初の日本人病院⇒1877年、釜山影島に開設された「済生会病院」
③ 1906年、平壌と大邱に建てられた「同仁医院」
(3)ミッション病院
①アメリカ人宣教師 メックレイが来韓して、高宗皇帝から教育と医療事業の官許を受けた
②1884年米国長老教会の宣教師であり、医師あるアレン夫婦が入国
⇒アメリカ公使館を介して、韓国外務省の国立病院の設立を提案
④ 1885年韓国初の近代的な西洋の病院である「光済院」設立 ⇒セブランス医学専門学校の母体。後に「済衆院」と改称
⇒看護人材の体系的教育は未だナシ、必要に応じて補助人材活用
⑤ 1894年にカナダの宣教師である「エビスン」に運営権移
⑥ アメリカ北長老会宣教会アメリカ人実業家であるセブランスが寄託した基金で、1904年の「セブランス病院」新築⇒現在の延世大学病院
⑦ 官立病院
- 1900年「光済院」設立。
⇒初期光済院の医師は、すべて漢方医。
⇒1905年以降、日本人の医師が光済院に配置され、西洋式医学で医療
⑧ 1905年、大韓赤十字病院設立
⑨ 1907年光済院、赤十字病院、官立京城学校などを統合して1907年に「大韓医院」として合併
(3)看護師養成所の活動
①官立系看護教育 –
⇒大韓医院による医療教育 ①医学科(4年)、②薬学科(3年)、産婆科及び看護科(2年の設置
⇒ 学生には官費、食費、被服費と雑費を支給し、卒業後の義務服務を求められた
⇒1907年に韓国初の官立看護教育が開始された。看護婦見習いの形で病院に勤務。1910年までに正式卒業生は一人もなし
⇒日韓併合後、大韓医院は朝鮮総督府医院付属医学講習所と改称され、修業年限は助産婦科1年、看護婦科1年半となり、1913年に第1回卒業生9人を輩出。
(4)宣教師系看護教育
1)普救女館看護師養成所
⇒普救女館=“House of Many Sick Women“
⇒위치(位置)는 현재 정동제일교회 100주년기념 예배당이 자리한 정동 33번지(貞洞33番地)였던 것으로 추정된다.
⇒韓国初の看護師養成所は、1902年にカナダメソジストで派遣されたMargaret Edmunds(1871~1945)によって普救女館に設立された
⇒基督教の愛を看護の理念として3年制の教育期間と入院患者の臨床看護に重点を置いた。
⇒毎日の生活観察と健康教育を重視する看護の伝統を打ち立てた。初めて「看護員」という名称を使用した。
⇒普救女館看護婦養成所は、3年コース、韓服と洋服を改造して作られた韓国初の正規看護服を着用、就学中の学生は病院で実習
⇒1906年キムマルタとはグレース二人の学生が入学し、戴帽式を経て修了証取得。
(5)セブランス病院の看護教育
①カナダ人看護師として1897年に訪韓したシールズ(Shields)はセブランス病院で看護活動をしながら、看護教育機関設立を計画して、1906年に韓国二第養成所がセブランス病院に設立
⇒開校当時の入学資格は、クリスチャンでハングルと基礎算数を習得し、学校の規則を守ると誓いした者
⇒最初の3年間の教育課程
①
基本的な看護技術と実践
②
解剖と生理
③
病状の観察と食物供給
④
眼疾患
⑤
薬理学
⑥
体重測定
⑦
顕微鏡による微生物学など
⑧
実習は外科/手術/婦人科診療室/外来診察室/産婦人科と公衆衛生看護室
⑨
1910年正式に第1回卒業生金ベセを輩出
(5)日帝時代の看護(1910〜1944)
①
ミッション系看護養成所
⇒京城セブランス病院、平壌基督病院、咸興慈恵病院、大邱東山病院、光州病院、開城病院、元山救世病院、京城東大門病院などに計8つの看護婦養成所
⇒高等普通学校2年修了ないしは高等普通学校を卒業以上。
⇒修業年限は3〜4年。
⇒実習は入院患者と臨床看護中心であり、病気のほか、生活や健康教育など看護の質を重視する全人的看護の性格を帯びた
②
看護教育制度
1)官立看護教育 - 朝鮮総督府医院(旧大韓医院)で医師、助産婦、看護婦養成所 - 1911年 助産科2年、看護婦科1年6ヶ月。各20人ずつ募集、入学資格は年齢
17歳以上25歳未満の女性。普通学校3年生修了。看護婦試験4年生修了者は助産婦科に無試験で入学
1912年法改正し、韓国在住の日本人女性にも受験機会を拡大
半島内の地方医療機関の中枢の役割をしていた慈恵医院でも看護教育を実施したが、これは慈恵医院の医療スタッフの大部分が日本人なので韓国人患者との意思疎通の難しさがあって、これを解決しようと韓国人看護師を養成。しかし、志願者が少なく、全国でわずか20人程度が受験 。13の慈恵医院に助産婦科、看護婦科意外にも速成助産婦科を設置し、不足していた助産婦を短期養成
②私立看護教育
1)宣教師看護教育
⇒日本統治時期に正規看護教育を実施した宣教師機関は京城のセブランス病院、東大門夫人病院、平壌婦救女館
⇒セブランス病院看護部養成所は、1921年までに39人の卒業生を輩出
し、1924年には教育環境の優秀性を認められ、他の私立学校とは異な り、無試験で助産師と看護婦免許を取得
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