カリフォルニア大学バークレー校における外国語教育(前編)
考えてみると、日本の大学における外国語教育は、1945年以降、いったい何時から、このような不可解な状態に陥ったのだろうか。
週2回、90分の授業。平均50~70名の多人数授業。開講数が全体の60%近くを占める英語科目のみならず、ドイツ語・フランス語等の未習外国語科目にしても、担当者の教材はバラバラで、各クラスの到達目標の設定もないまま。成績評価法も一致しなければ、教授方法もコースデザインも不揃い。英語以外の外国語教育における文法用語等の統一のなさも、この際指摘しておくべきであろう。その上に、大学の外国語担当教官の多くが各自の外国語教授法をマスターしないままに教壇に立っていることの不自然さも、忘れてはならないだろう。大学では研究業績の優秀なものだけが外国語教育に従事できる、たとえ各自の専門分野がその外国語科目とは無縁であろうとも。
この数年、大学改革の名のもとで教養部解体が進行したが、地方の国立大学の大半では、憂慮すべきことに、外国語科目担当者のほとんどが専任教官ではなく、非常勤講師の手に委ねられてしまったという。かって教養部に在籍したからこそ、専任教官の責任が問われたが、それももはや放棄されてしまった。大学に外国語教育センターが新設されたところはまだ幸いである。というのもその名前の下に、外国語教育の責任が吸収されてしまったからである。
なるほど幾つかの大学では、その大学独自の英語教材が作成された。東京大学教養学部の英語テキストはベストセラーにもなったので、思い出される方も多いに違いない。しかしながらその結果生じた事態は、大人数教室の設置であった。また外国語教育へのコンピュータの活用も進み、いまや講義室内には高価なLL機器が設置されている風景も珍しくない。
しかしながら自習や自宅学習でならばいざ知らず、教室内での教育に、人間が教える以上の効果をコンピュータに期待できるであろうか。
21世紀の外国語教育はいかにあるべきかを課題として、2000年10月にアメリカに旅立った。