2022年6月14日火曜日
「6月7日」考
2022年6月13日月曜日
由水常雄著『正倉院の謎』魁星出版、2007年刊 読後評
ふとしたキッカケで、由水常雄著『正倉院の謎』を手にした。もともと買い求めていたのであるが、長い間、他の関心に紛れて、いつの間にか書棚に眠っていたままであった。裏表紙の手書きのメモを見ると、20数年前であった。当時、正倉院に関心を持たなかったので、書店の店先で偶然に止目して購入したらしい。由水氏といえば、古代ガラス史研究の第一人者である。正倉院所蔵のコバルトブルーで目を引くガラスのコップ「瑠璃坏(るりのつき)」(奈良国立博物館、2012年10月27日(土)から11月12日(月)、第64回正倉院展で実見)などの一連のペルシャ・ササン朝のガラス工芸品の説明書だと一人勝手に理解したまま、それを筐底に秘することとなった。
さて、あらためて本書を手にすると、その書名に驚いた。「謎」とある。そもそも古代のすべてが謎に満ちていると理解する私にとって、謎解きに興味津々であるものの、由水探偵が挑戦するミステリーには単なる殺人事件の犯人捜しなどとは異なる意想外の「謎」であった。
他の読者はどのようにお考えになるのかはわからないが、私は由水氏特有の文言に出くわすたびに、読み進めるスピードが遅くなりがちであった。例えば、
*「完全な無血革命」(72頁)
*「正倉院クーデター」(98頁)
確かに本の販売を伸ばすために、とかく出版社の編集部のセールス戦略は過激な文章に仕立て上げがちであるとはいえ、由水氏の文はいささか挑戦的である。
謎1)なぜ、『国家珍宝帳』に、なぜ、「天皇御璽」印が487個も押されているのか。
謎2)なぜ、「東大寺封戸処分勅書」(天平宝字4年7月23日付け)に、「天皇御璽」印の偽印が押されているのか
謎3)なぜ、正倉院の宝剣5振(陽宝剣、陰宝剣、金婁宝剣2振、銀荘御太刀)が出蔵されたまま、返納されていないのか。そもそも持ち出したのは、誰か。
私の知る限り、『国家珍宝帳』に関する解説として最も優れているのは、関根真隆氏のそれである。
「『天平勝宝八歳六月二十一日献物帳(種々薬帳)、右の国家珍宝帳と同 C天平勝
宝六歳六月二十一日献物帳(国家珍宝帳)、申すまでもなく聖日に薬六十種を奉
献された目録で、種々薬帳とも称する。聖武帝崩御後、四十九日忌に当る日のも
ので、願文中のはじめにみる言葉をとって国家珍宝帳あるいは珍宝帳とも称
する。珍宝という語は先記のようにすでに天武紀に例がある。
表紙は緑麻紙で表題に「東大寺献物帳」と墨書して天皇御靈一を押す。発装に綺
帯の断片が付着する。表紙には現在補強のために見返に裏打様薄い紙が全体に貼ら
れている。貼られた時期は正確な記録がないので明らかでないが大正年間のこと
ではないかといわれている。
表紙の長さは上端で二四・三センチ、下端は二三・五センチで、すこ
しずれがある。それが本来のままか否かは明らかでない。堅二五・八セ
ンチ。
本紙は白麻紙三張、郵の幅は二・一~二・二センチ、郵高二二・二セ
ンチで、文面上に天皇御璽を堅1行に3163行、総数489を押す。
そして文中に所々朱書、墨書の付箋がある。本紙全長は約14.7メー
トル、竪25.9センチ、また本紙各紙の長さは、第1紙77.5セン
チ、第2紙80.8センチ、第3紙~第17紙は87.0~87.9セ
ンチ、但し第7紙87.6センチ、最末の第18神は11.5センチ。
軸の軸端は撥型の桑木、軸木は杉材で長さ25.2センチ、全長31.2センチ 」
であり、信頼に足る記述である。
さて、問題は由水常雄氏が説く謎である。しかしながら、なぜ、489の天皇御璽を押印したかのは不明であり、その数の多さをいくら問い続けても、あくまでも仮説に終わるだけである。その由水氏の仮説を知りつつも、現段階の資料上の制約がある限り、どのような仮説であれ、その論証が困難である以上、関根氏が自重するように、どこまでも事実のみに禁欲的であるべきである。私の立場からすれば、次の関根氏の解説で十分である。由水氏の自説を無視するのではなく、それも頭に置きつつも、語るべき時期が来るまで、単に語らないだけである。
「 献物帳の問題点
献物帳の概要を右に述べたが、次にこれらの問題点というものをとりあげてみたい。それには文書としての形式、筆跡、天皇御璽、本紙、巻末連署の人々、その他などの諸問題がある。