『唐書』巻219[6179-7]に よれば、「渤海、本粟末靺鞨附高麗者、姓大氏」とある。
その靺鞨は高句麗に接した所にいた栗末部、その北にいた伯咄部、その東北に安車骨部、伯咄部の東に沸涅部、その東にいた号室部、安車骨部の西北に黒水部、そして粟末部の東南には白山部の7つのグループに分かれていたらしい。
高句麗が滅亡した後、白山部・安居骨部・沸涅部・号室部などがいずれかに吸収されたが、黒竜江流域に居住していた靺鞨の内で黒水部と粟末部のみが生き抜いた。
したがって、渤海語の根幹にツングース語系の粟末靺鞨語があったと推定され、語彙などに高句麗語を含まれていたと考えてよいだろう。というのも、そもそも渤海は粟末靺鞨と高句麗の残党によって建国されたからである。
なお、『旧唐書』巻199下に 、渤海靺鞨について「風俗興高麗及契丹同、頗有文字及書記」とあるものの、固有文字はなかった。
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