2024年10月13日日曜日

河野六郎先生の仮説に瞠目

河野先生の仮説

以下の通りであるが、管見によると、瞠目すべき河野先生の仮説は

「高句麗」がツングース族でないことをつきとめた

②(濊人は)中国の河北から「貊族」の東方への大移動の波に押されて、中国東北地方から朝鮮半島を南下して行った、おそらく「倭人」が先に日本列島に入る以後に、朝鮮半島に残留した「倭人」と同系の民族であったと思われる。

の2点である。

 (a) 朝鮮の史書『三國史記』の「地理志」の古地名には、高句麗語の地名の中にむしろ日本語に近い人の言語の地名が伝えられていること。

(b) 『日本書紀』に伝えられる古代韓土の言語は主として韓族の言語であるが、百済の支配階級の貊族の言語も僅かに見出されること。
(c) 『三國志』以降の中国の正史から「高句麗」と「渤海」、「靺鞨」の関係を追究し、「高句麗」がツングース族でないことをつきとめた。

(d) 現在のツングース民族の分布状況を地図化して、言語地理学的に、「高句麗」はもと旧アジア人の1族であったが、ツングース族との接触でツングース化した可能性を推定した。。」


もはや河野六郎先生を知る方は多くない。その偉大な学殖は、

(1)千野栄一「嗚呼、河野六郎先生」

en (jst.go.jp)

に詳しく、何にもまして、

(2)『河野六郎著作集 』全3巻 平凡社 1979-1980、

を一瞥するだけで、その広大無辺の知識量に賛嘆する。東京帝国大学の卒業論文「玉篇 に現わ れたる反切の音韻的研究」を一読してほしい。不世出の言語学者の研究生活のスタート時点で、その凡庸さを超えている。

さて、その河野六郎先生が

『三国志に記された東アジアの言語 および民族に関する基礎的研究』 

研究課題番号 02451066 平成 203・ 4年度科学研究費補助金 一般研究 (B)研究成果報告書

河野六郎三国志と言語2019年02月20日22時27分27秒.pdf

を発表なさっている。

多くの方々は科研費報告書を目にすることはないのは、その専門性ゆえにである。しかも科研報告書は国立国会図書館にのみ完備されており、その入手に時間を要する。

それゆえに、あえてその一部を紹介したい。

<研究成果の概略>


第1年度(平成2年度)
(1)本研究の出発点である『三國志』の「魏志」「烏丸鮮卑東夷傳」の解明に「魏志」全体の文献学的研究を行なった。そのため「魏志」の文を大量に引用している宋代の類書『太平御覧』所引のテキストと通行本『三國志』のテキストの対比して、その異同を検討し、コンピュータを利用してその対照表を作成した。
(2) (1)で得られた対照表を利用して「魏志」に記載された諸民族に関する情報をコンピュータによって索引化した。
第2年度(平成3年度)
(1) 対照表によりテキストの対校を行なったが、その過程で『三國志』の原資料に記事の混乱が認められた。殊に「韓傳」の「辰韓・弁辰」の条は「魏人傳」とは時代を異にする状態の記述が混在していることが分かった。
(2) 各民族の詳細な索引を作っている中で、たとえば「單于」という首長の称号が、匈奴と同系の烏丸・鮮卑にも見られることが分かった。
当該年度・第3年度(平成4年度)には第1年度および第2年度の調査に基づき他の関係資料をも参考にし、次の4点の研究を行なった。
(a) 朝鮮の史書『三國史記』の「地理志」の古地名には、高句麗語の地名の中にむしろ日本語に近い人の言語の地名が伝えられていること。

(b) 『日本書紀』に伝えられる古代韓土の言語は主として韓族の言語であるが、百済の支配階級の貊族の言語も僅かに見出されること。
(c) 『三國志』以降の中国の正史から「高句麗」と「渤海」、「靺鞨」の関係を追究し、「高句麗」がツングース族でないことをつきとめた。
(d) 現在のツングース民族の分布状況を地図化して、言語地理学的に、「高句麗」はもと旧アジア人の1族であったが、ツングース族との接触でツングース化した可能性を推定した。


>>(2)研究目的

 戦後何度 か 日本人の起源 が問われ、その都度 日本語 の起源が問い直されてきたが、 日本語の起源 は今 のところ結局不明のままに終わ つて いる。 その起源の無益な論争よりも、 日本民族が古代の東ア ジア (中国東北部・朝鮮半島お よび 日本列島)に出  したとき、その周辺 にいかなる民族が居住し、 いかなる言語を話していたかを探究することの方が 、 日本語 の前史を明らかにする上で重要である。それを知る上で 最も貴重な史料 が 中国 の史書『 三 國志』であ る。 『 三 國志 』はその 中に東夷伝倭人の条 (い わ ゆる魏志倭人伝 )を 合 む こ とか らも 明 らか な ように、当時の倭 その他 の民族の諸状況 および 中国 との関係 を探 る上 で、 最も基本的な文献であ る。本研究 では、『三國志 』の成立と伝 承をめ る諸 問題 を 再検 討 し、な らび に本文批判 の基礎 の上 に、当時の東アジアの言語と民族 につ いてさまざまな角度から探 究することを目的とす る。 

(3)実施経過報 告 

第 1年度 (平 成 2年 度 )

① まず本研究 の 出発点 である『三 國志 』の「魏志 」 「烏丸鮮卑 東夷博 」 を解明す るため、 「魏志」全体 の文献学的研究 を行なった。 そ のた め、「魏志 」 の文 を大量 に引用 して いる宋 代 の類書 『太平御 覧』 (李昉奉勅撰 、 中華書局景 印本 )所 引 のテ キス トと通行本『 三 國志』 「魏志 」 (中華書局標点本 ) のテ キス トを対 比 して、その異同を検討 し、そ の対照表 を作成 した。 その結果 、哈仏燕京学社刊 の『 太平御 覧 引得 』 (1935年 1月 刊 )で 指摘 されている個条 よ り遥 か に多 く、989条 に及ぶ ことが明 らかにな った (そ の対 比の結果 は、『 (4)「 研究成 果 内容報 告」 I.『 三 國志』 のテ キス トと『 太平 御覧』引用文 の比較 』 に詳 しい)。 なお、理解 を深 め るた め に、『 太平御 覧』所 引 の「魏志 」のテ キス トに訓点 を施 し た。

 ② 「魏志」の中か ら、『太平御覧』 との対比において、特 に異同の多 い笛所 を 検索するため、パーソナル・ コンピューターを購入 して、その箇所の一部 を入力 し た。これは後 日、一覧表・索引を作成するためである。

 ③ ①で得 られたテキス トの対照表 を利用 して、本研究の対象である「魏志」に 記載 された諸民族のそれぞれ を採 り上げ、それ らの民族 に関する情報 を『三國志』の記 事 か ら能 うか ぎ り読 み取 るた め 、 それ らの民 族 の索 引 を コ ン ピュ ー ター を使 っ て作 成 した 。 そ の際 、各 民 族 につ いて、 そ の民 族 の名称 ・ 地 名 。人 名 等 の項 目を選 定 した 。


 第 2年 度 (平 成 3年 度 )

① 平成 2年 度 に完 了 した『 三 國志』 「魏志 」 と『 太 平御 覧』所 引 のテ キス トとの対照表 を検 討 して 、校勘 を伴 うテキス トをコ ンピュー ター に入力す る作業 を続 行 した。その際、本研究 の主題 に鑑 み、 まず 「魏志 」 の「 鳥丸鮮卑東夷停 」 よ り始 め次第 に関連 す る他の記 事 に及ん だ。な お、 このテ キス ト の対校 の過程 で 、『 三國志 』の原資料 に記事 の混 乱が認 め られた。殊 に 「韓傳」 の 「辰 韓・ 弁辰 」 の条 は 「倭人傳」 とは時代 を異 にす る状態 の記述が混在して いる こ とが分 か つた 。

 ② 一方、「魏志」「烏丸鮮卑東夷偉」に記 されている諸民族 につ いて、民族・ 部族 ・社会組織・地 名 。人名等について、詳細な索引を作 り、それをコンピュータ ーに入力 した。その索引を作成する過程で、た とえば、「單干」 という首長の称号 が、匈奴 と同 じく烏丸・鮮卑には見 られるが、他の民族 には見 られないことな どが 分かつた。 これらの研究 を行つている中に、貊族との正体を追究する必要 を痛感 し、次の 研究 に従事 した。


 (a)朝 鮮 の史書 『三 國史記 』 の 「地理志 」に記 され て い る古地名 が、貊族の高句 麗 の言語 に よる という説 が あ り、そ の説 につ いて考察 して 、然 らざる所以 を考 えた 。 その古地名 に は 日本語 に類 似 したも のが若千 見 出 され るが 、 それ は高句麗語 ではな く、語である可能性 を考 ぇた 。

 (b)『 日本書 紀 』の中の、韓 土 と交渉 のあ つた時代 の記 事 に韓 土 の言語 を伝 え て いるものが あ り、 それ につ いて調査 した結果 、多 くは韓族 の言語 を反映 し、その点 で は現代 の朝鮮語 の音形 を知 る こ とができ るが 、濊族の言語 につ いて は僅 かな単語 を残 して いるに過 ぎな いこ とが分 か つた。


 第 3年 度 (平 成 4年 度)

① 各民族の情報 を確実なものにするため、『三國志』 以降の中国の正史 の外夷伝から、高麗 (高句麗と高麗)、 株輻、渤海、契丹、女真 等の諸民族 について、すでに選定 した項 目にしたがつて索引を作 り、 これをコンピュ ーターに入力 した。この索引により調査 を進めている中に、ツングース族 であるこ とが明らかな「靺鞨」 と「高句麗」あるいは「渤海」 との関係を明 らかにすること の必要性を悟 り、その研究 に従った。

 ② ① と関連 してツングース族 の移動を追究することの必要を知 り、ツングース 族 の現在の分布状況 を地図にした (附 地図参照)。 この分布状況か ら、すでに得 ら れた歴史的事実 を参考 に して、ツングース族の移動の跡 を考えた。それは貊族の運命にも関係す るものであることが朧げに分かった。

以上 のよ うに、平成 2年 度 よ り3年 間 に亘 つて調査研究 を試 みた。 そして、その研究 は、各分野 の専 門家であ る研究協 力者 、すなわ ち、旧満 州史研究 の松村潤研究員、朝鮮古代史研究 の武田幸男研究員、 日本語学 の亀井孝研究員、 中国音韻学の古屋昭弘研究員の意見 を絶 えず徴 しつつ行 つた。研究協力者石 川重雄立正大学講師 に は中国史研究者 と して『 三 國志 』 「魏志 」 と『 太平御 覧』所 引 の「魏 志 」 との引用 記事 の比較対照一 覧 作成 の監 督及び研究事務 を総括 して貰 った。」

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すべては原著にあたってほしいが、この研究成果が広く公知となっていないことを寂しく思う。加えて、雑でやっつけ仕事の多い科研費報告書であるが、このような良心的な研究グループによる素晴らしい研究成果がなぜ出版できなかったかと思うと残念である。


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