属に「出雲街道」と呼ぶ交通路がある。それこそ松江藩の参勤交代路である。
出雲街道のルート松江城下-出雲郷宿-安来宿-米子城下-車尾宿-溝口宿(七里茶屋)-二部宿-根雨宿-坂井原宿-新庄宿(佐藤本陣)-美甘宿-勝山城下-久世宿-坪井宿-津山城下-勝間田宿(木村本陣+下山本陣)-土井宿-佐用宿-三日月宿-千本宿-觜崎宿-飾西宿-姫路城下コース
なんとそのコースを松江藩の一行は3泊4日で走破した。籠に乗る藩主もさぞや大変な道中であっただろう。急ぎ足で駆け抜けるわけであり、4人で担ぐ「長柄」籠の揺れは甚大であったからである。
姫路から先は山陽道・東海道を経て江戸に至るが、それにしても諸経費倹約の旅は忙しい。
なお、本陣には、
第1回先触れ:50日以前
第2回先触れ:2日前
の二回にわたって、事前サーベイが行われ、念には念を入れた準備体制が整えられた。
ちなみに、江戸から国元への帰国届けに言及しておきたい。
一般的な流れは、下記の通り
- 登城願いの提出:藩邸から幕府に登城の意向を伝える
- 登城日決定:幕府から登城日が指定される
- 登城・謁見:江戸城で将軍に拝謁し、暇乞いを行う
- 帰国準備:藩邸で荷物整理、随行者の編成
- 出発:江戸を離れ、国元へ向かう
寛政15年の日出藩主の場合では、「木下俊懋日記(第11代藩主) 」によると
①4月24日、幕府老中戸田氏教(大垣藩第7代藩主)らからの奉書が到着、日出藩上屋敷(所在地:現在の東京都港区虎ノ門一丁目9番地付近、安政6年「分間江戸大絵図」参照。
明日の五つ半(午前9時ごろ)の江戸城登城の命
②4月25日卯の刻(午前6時ごろ)、藩主登城
③将軍家斉から「よきに計らえ」( 「在所への御暇」)を拝受し、直ちに帰国準備に着手。
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