2017年4月23日日曜日

加賀国砺波郡からの朝鮮通信使御用

横山恭子氏の好論「近世中期加越能地域の朝鮮人御用」を一読する機会に恵まれた。享保4年(1719)の朝鮮通信使来日の折に、
*通信使一行の荷物運搬のために、加賀藩砺波郡から駅馬15疋、馬子15人、馬裁許人1人
が派遣されたことを究明している。
享保度朝鮮通信使は総勢365人であった。身分に応じて輿・駕籠・乗馬・徒歩などで江戸にが、そのうちで乗馬は240人に及ぶ。上馬80疋、中馬180疋の計240疋が求められたが、そのうちで加賀藩は15疋を負担した。
加賀藩の担当区間は、舞阪駅(静岡県浜松市)から江戸間。
担当期間は、9月18日から9月27日迄。

その詳細な論は原著を譲るが、日本国中総出で朝鮮通信使歓迎体制を備えていたことを知るべきである。横山氏の他の論文を拝見したい。


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