*この歌は、聖武天皇が造営した紫香楽宮趾と伝わる宮町遺跡(滋賀県甲賀市信楽町)出土木簡(8世紀中旬)に、その断片が残されている。その木簡は1997年に紫香楽宮の排水路と推定される溝から出土。長さ7.9センチ、幅は2.2センチ。木簡の表面を削った木屑。木簡とともに随伴した荷札から考えて、744年末から745年初めに廃棄されただろう。現在までに判読されたのは、「阿佐可谷 流夜真」の7文字。
本木簡史料によると、和歌表記における「略体表記から非略体表記」という通説が揺らぐ。「略体表記から非略体表記」とは漢文体が先行し、次に一字一音の借音表記が生まれたという通説である。
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