元慶5年(881)5月3日条には、
「陸奥蝦夷訳語外従八位下物部斯波連永野」
の記事が見える。この日、物部斯波連永野は外従五位下を授けられた。そもそも物部斯波連は尚和7年(840)3月12日条に、
*物部斯波連宇賀奴
の名が認められる。しかも彼は「俘夷」とあるので、もともと蝦夷系住民であった。この宇賀奴との永野との間に血縁関係があったとする証拠はない。だが物部斯波連が蝦夷語に親しい一族であったとするば、2人の濃密な血縁関係を否定するには膨大なエネルギーを要するだろう。
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