「続日本紀」天平5年(733)6月条に
「丁酉。武藏國埼玉郡新羅人徳師等男女五十三人。依請爲金姓。」
の記事がある。この趣旨は「武蔵国埼玉郡新羅人徳師ら男女53人を、要請に依りて金の姓を許した」という内容である。
この記事に注目する理由は、新羅人徳師等男女53人が姓を有していなかったことであり、その創氏にあたり朝鮮半島の王族名である「金」氏を自称したことである。
つまり新羅人徳師等男女にとって自ら朝鮮半島に出自を持つ血縁集団(父系もしくは母系、あるいは双系)であることを対外的に標榜することが何らかの権益を確保し、さらには権利書であったのではないか。逆な見方をすれば、この時点で新羅人徳師らは経済的上昇を遂げて、郡衙・国衙を経て中央にまで要請が可能となる社会的認知度までも有するようになっていたと言えよう。
ここでは、「金氏」姓が日本人式姓ではなく、わざわざ朝鮮半島由来の新羅式姓であることによって、実感として連帯を意識し、共通の権益を獲得したと理解しておきたい。
なお、徳師ら53人が始祖からの共通の出自の観念を持ち、同族の構成員を記述的に網羅した家計記録の存在までの推定は史料的な限界ゆえに控えて、後日の課題としたい。
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