2025年9月19日金曜日

平藤喜久子氏の國學院大學国際ワークショップ総括を拝読して

 平藤喜久子先生(國學院大學)は未見の研究者である。

平藤先生の国学院国際ワークショップ総括報告を拝読して、今さらながら国学院に対する認識を一新した。このブログを執筆する理由はここにある。

我が愚を改めるに、平藤先生の紹介文に敬意を表する次第である。

 何と古い世代かと呆れられるかもしれないが、私が知る国学院は、國學院大學の母体である「皇典講究所」のままであったようだ。しかも神職養成部(神職教習科・神職講習科・祭式講習科)を併設して、全国の神社宮司後継者の養成所だと。

 今の人には、誰一人として記憶にないだろうが、順不同に列挙すれば、

①三矢重松

②武田祐吉

③折口信夫

④石川岩吉

⑤河野省三

⑥西田長男

⑦大場磐男

⑧宮地直一

⑨石上堅

岩橋 小弥太

⑪臼田甚五郎

⑫野村純一

⑬福田晃

⑭松前健

⑮鎌田純一

⑯小林達雄

⑰鈴木靖民

などなど多士済々である。

しかしながら、唯一、民俗学者である

*伊藤幹治

先生には、研究テーマはなるほど国学院らしいが、その研究パースペクティブは当時にあって斬新であった、英国構造人類学の主導者であったエドムンド・リーチの影響下で、構造分析と共同体の再結合などのキーワードで学界をリードした。彼の名著『稲作儀礼の研究』に誰もが魅了された。国学院スタイルを脱皮し、世界レベルの研究へと結実していた。

つまり伊藤幹治先生以外の研究は国学院のための、国学院による、国学院独自の言語モードで記述されていると誤解していた。

だからこそ、平藤先生の報告を一読して、驚く。そのグローバル thinkingに。

確かに國學院大學がその名の通り「国の学」(国学)に拘っていたならば、学問のダイナミックな発展は期待できない。越境する学問、つまりボーダレスな学問の地平の上で、世界に通用し、世界レベルに到達する「日本学」(国学ではない)でありたいと宣言している。

その宣言文として、この平藤先生の文章を拝見した。泉下で伊藤幹治先生もお喜びであるに違いない、平藤先生などのような鋭い切り口で果敢に日本研究に邁進する研究者が国学院に多数輩出しているから。




0 件のコメント:

コメントを投稿