江戸時代の四大眼科医
①尾張馬島流眼科・
②諏訪の竹内流眼科・
③筑前の原田流眼科
⇨白内障手術(針術)の名手
筑前田原家は、江戸後期に白内障手術(針術)で全国的名声を得た医家
⇨ 「白 内 障 手 術 の 歴 史」三 島 済 一 *
http://www.med.teikyo-u.ac.jp/~ortho/med/pdf/94101792.pdf
⇨ 日本四大眼科の一つ、田原眼科の屋敷跡
④江戸の土生玄碩
⇨ 出自: 安芸国(現在の広島県安芸高田市)の代々眼科医の家に誕生
• 出世: 広島藩の藩医を経て、徳川11代将軍・家斉の御典医(奥医師)に抜擢、
• 功績: 日本で初めて眼球の解剖を行った人物の一人であり、独自の「穿瞳術(せんどうじゅつ)」を発明
⇨ 虹彩への処置: 濁った水晶体をすべて落とすのではなく、虹彩(瞳の部分)の一部を切開して「新しい光の通り道」を作る手法を考案
• 工夫の背景: 偶然、手術中に虹彩の端に小さな孔が空いた患者が、それによって視力が回復したという事実に着目
• 散瞳剤の活用: 玄碩はシーボルトから教わった「ベラドンナ(散瞳剤)」を活用し、瞳孔を広げてから手術を実行
⇨この手術法の重要性
• 近代眼科への架け橋: 原始的な「墜下法」から脱却し、現代の白内障手術の考え方(眼内の構造を考慮して光の通り道を作る)に近い概念を独自に発見、