2021年7月11日日曜日

東漢氏と帯方郡

 東漢氏の祖先に関しては、『続日本紀』延暦4年6月癸酉条に

「臣等、本是後漢霊帝之曽孫阿智王之後也、漢祚遷魏、阿智王因神牛教、出行帯方、忽得宝帯瑞、其像似宮殿、爰建国邑」

とあることから、魏国の統治下にあった帯方郡において、郡衙の建築物に従事したとある。

だからこそ、東漢氏に属する将大匠荒田井比羅夫が難波京の造営(『日本書記』高徳紀、白雉元年10月条)、従五位下坂上忌寸忍熊が平城京の造営(『続日本紀』和銅元年9月戊子条)に当たったのも、彼ら東漢氏が都城建設の技術と情報を有していたからであろう。

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