2026年5月19日火曜日

伎倍」考ーー紀平氏の由来

 世の中には、生命学ならぬ姓名学もあるそうだ。

例えば、紀平氏。学のない私などは、かって『国体の本義』の中心的執筆メンバーである紀平正美氏などを思い浮かべる。

>>【読み】きひら,きへい,のりひら,きのひら,のりへい,きたいら,きだいら

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さて、この「紀平」は漢字に引っ張られて「きひら」とか「のりひら,きのひら,きたいら,きだいら」などと読むが、本来は「きへい」であったと仮説する。

 KIpei→KiFei→KiHei→紀平 → きへい,のりひら,きのひら,きたいら,きだいら

 ところで『万葉集』には「あらたまのきへ」という語句が1か所ある

*3353番歌

阿良多麻能 伎倍乃波也之尓 奈乎多弖天 由伎可都麻思自 移乎佐伎太多尼

あらたまの伎倍の林に汝を立てて行きかつましじ眠を先立たね


*2530番歌

璞之 寸戸我竹垣 編目従毛 妹志所見者 吾戀目八方

あらたまの伎倍が竹垣網目ゆも妹し見えなばわれ恋ひめやも

これら『万葉集』中の2530番歌にせよ、3353番歌にせよ、『倭名類聚抄』に「阿良多末」とあるように、「あらたま」は遠江国麁玉郡である。

 「きへ」に関しては、同じ『万葉集』に

*3354番歌

伎倍比等乃 萬太良夫須麻尓 和多佐波太 伊利奈麻之母乃 伊毛我乎杼許尓

伎倍人の斑衾に綿さはだ入りなましもの妹が小床に

にもある。この3例から推測するに、「きへ」は特定地名とする先行研究が多い。その一方で、「きへ」は柵戸(城戸)で、城柵周辺に居住する古代防御性集落に擬する説もある。

今の未熟な 我が学識で、わずか3用例ではいずれとも決しがたいので、ここでは両論併記を許していただきたい。

「きへ」は特定地名説ーー浜松市貴平町周辺

②「きへ」は柵戸説ーー軍事的防御施設周辺の集落

確かに遠江国軍団は、これまでの出土した遺物や意向などを総合的に考えると、現在の浜松市中区の伊場遺跡周辺に設置された可能性が高い。したがって、木場遺跡から7~8キロしか離れていない貴平の地に城柵で囲まれた軍事的施設が設置されたことになる。

その理由として、

  • 国府の近く(徒歩で往来できる距離)

  • 官道(古代東海道・中路)沿線

  • 天竜川西岸(兵站・水運)


  • 平坦な段丘上(演習場の確保)

などの諸条件を勘案すれば、いちがいに否定もできない。

さて、念のために正直に告白すれば、私見は、「紀平」氏の由来を「城柵」説だと考えている。ただし、そのエビデンスがない。

*あらたまの伎倍の林に

*あらたまの伎倍が竹垣網目ゆも

伎倍人の斑衾に

の内で、とりわけ第2例目に文学的興趣を覚えるからである。


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