2023年9月28日木曜日

朝鮮馬の図(文化8年),朝鮮和睦の書

 目録詳細 / なか++の友 (adeac.jp)


函番号(資料番号)147-92
旧書名なかなかの友
数量5
単位
書名なか++の友
書名ヨミナカナカノトモ
書名の備考1・3冊目の原題簽存(左肩無辺)「なか++の友 上〈一〉」「なか++の(以下破損)」。序題「なか々々の友」。各冊目録題「なか++の友壱之巻」「なか++の友乙録巻之壱」「なか++の友乙録巻之三」「なか++の友丙録壱之巻」「なか++のとも丙録弐之巻」。各冊内題「なか++の友巻之壱」「なか++の友巻之壱乙録」「なか++の友巻之参乙録」「なか++の友巻之壱丙録」「なか++のとも巻之弐丙録」。
版写
書型
存欠全8巻(3巻乙録3巻丙録2巻)のうち巻2・3・丙録巻2欠
原装・改装原装
丁数108
寸法24.7/17.0
編著者原徳斎
編著者ヨミハラトクサイ
成立自序全文「そも賢き人は愚かなる者の仇なりおろかなるものはかしこき人のともにあらすしかも友にあらされはかならす嫉の害に逢ひ謗の恥をうくること多しいと心うき事にこそあれされは兼好翁も友ならぬ友のとひ来て長居すは独りあるよりわひしかりけると読しもさる事なりいさや予も其言の葉にならはむとて自分柴門を鎖して独り文机によりふるき新しきとなく面白しとおもふを何くれとなく書記しはへるにはややつの巻とはなりぬその親しみ深しといえともつひにねたみに逢ふ気遣ひもなくまたそしりをふせく心くはりもいらすけにこれやこれなか++のともならむ歟++/徳斎ぬし識」(署名はもと「放斎」の「放」を貼紙で「徳」に改める)。巻1「蘇東坡研図」文中に「予先人念斎翁の古許志に出たり」、丙録巻1「唐人戯場番附」文中に「実父理斎翁長崎の地に于役の時」とあり、著者は原徳斎。書中所々に文政6年までの年数注記あり、同年中の成立。天保年間までの同筆の増補書入あり。
成立西暦1823
刷り書写の態様自筆稿本。上写本。
内容好古趣味の考証随筆。漢字かな交じり。文書や書画の模写を中心とした図多数。各冊の内容見出し、①:日蓮上人の歌、手取釜図、難波五人男、蘇東坡研図、半七三勝届書(三勝半七心中を取り組んだ元禄9年正月2日より始まる岩井半四郎座新狂言「御評判の心中」「〈日本〉鍾馗大臣」の番付断簡を模刻した一枚刷の現物を添付、余白に刻された附記の末に「文政十一戊子年三月 浪華黄葉園主人誌」)、三国馬の遅速、琉球国王の印璽、宮本武蔵画印、明陳眉公の古琴図、国分寺古瓦図、静女墓図、雷電為右衛門手形、本多忠勝野太刀の鐔図(「すくんうきよやいまわままるこつかう」の文字入り)、加藤清正手形並花押、新吉原類焼年譜、源為朝矢根、武蔵坊弁慶鍔の図。②:大石良雄遺物、近藤源四郎請状之文、京都小野寺十内墓図、同十内母墓の図、山科郷良雄旧趾碑図、寛政四年相撲番付并上覧勝負付、後藤祐乗笄の図、朝鮮和睦の書、頼光大江山入の古記、羅城門制札の図、由良之助の古図(吉信筆)、椀久の紋所并紀文紋所、静女雨龍舞衣図。③:長禄年江戸絵図、永禄年中江戸絵図、寛永年中江戸絵図、享保年霊象の図、駱駝の図(文政4年)、朝鮮馬の図(文化8年)、為朝矢の根図、木より出たる鏃図、大石良雄手簡、義士四人花押、弘法大師加持蛤并書、兼好法師墓の図、仏殿の古瓦、異形の赤子、八歳女子出産。④:日蓮御預状、日蓮上人手簡(7月2日故阿仏房尼御前宛)、上杉謙信書并花押の図、小倉山荘の額、日本神代文字の図、唐土蝌蚪文字の図、足利学校古書(宋版『周易注疏』、端平2年陸子遵識語、上杉憲忠奉納識語)、国姓爺の印章、古画の美人(落款「鳥居清俊画」)、唐人戯場番附、筑波みなの川碑、蕉門三伝之書(模写短冊「枯芝やまたかけろふの一二寸 はせを」)、高尾文の文、春台塾の記、煙草屋招牌。⑤:菅神真跡経文、祐天僧正名号真跡、珂碩上人系譜并仏号の書(九品仏開基超誉、珂碩実母の佐藤家の子孫が著者の姉聟)、慶長の筆記(表題「治世録」改め「駿武政事私記」、慶長11年正月より同16年12月までの世事を記した記録書稿本)、明暦武鑑(刊記「明暦四年三月吉日 松会開板」)、神祖御駕籠の図(日光宝蔵にあり)、神祖御花押、遊妓吉野の文(貝原益軒宛)、異国人の図(文化元年長崎に来たヲロシヤ国使節の役人レサノツト(レザノフ)の画像)、角平獅子系譜(越後獅子、唱歌あり)、志賀随応の書、九拾以上尚歯会(正徳5年生嶋幽翁主催と文化13年本多随翁主催)、天明絵草紙(天明5年5月17日初日「八重一重ことのは曽我」を絵草紙にしたもの、「其様当時豊国国貞なとの画く草そうしに似て狂言仕組の言葉迄しるしたり今は曽て無事也」)、宋蘇東坡花押、僧独立真跡、朱子真跡。
備考原装白茶色表紙に覆表紙を付す。料紙薄様(全丁間紙入り)。四周単辺無界10行。癖の強い筆跡。○国書総目録に志賀理斎著とするのは誤り。外に天理に巻2・3の自筆本あり(文政6年成)。○原徳斎は志賀理斎の男で文化14年原念斎の養嗣子となり、その家督を継いで幕府の御徒となるが、文政7年致仕。明治3年没71歳。文政6年には24歳。
所蔵機関西尾市岩瀬文庫
資料種別総記 随叢
大分類和書
和分類総記 随叢 雑筆
言語日本語
原本の所在・史料群西尾市岩瀬文庫

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