2023年9月28日木曜日

岩瀬文庫蔵の薩摩陶器之濫觴稿

 目録詳細 / 薩摩陶器之濫觴稿 (adeac.jp)


函番号(資料番号)121-66
旧書名薩摩陶器の濫觴稿
数量1
単位
書名薩摩陶器之濫觴稿
書名ヨミサツマトウキノランショウ
書名の備考書名は原表紙中央書外題による(外題末の「稿」は墨色異なり、同筆の後筆)。内題「薩摩陶器之濫觴」。
版写
書型
原装・改装改装
丁数13
寸法25.4/17.4
編著者福島正治
編著者ヨミフクシママサハル
成立無記名の自序あり(「薩摩陶器濫觴調ヘニ付テノ序書」)。巻首「福島正治撰(朱小楕円印「福治」)」。奥書「明治二十九年七月 (朱小楕円印「福治」)」(年記の「二十九」は「三十」を墨滅して傍記する)。
成立西暦1896
刷り書写の態様自筆稿本。
内容薩摩に於ける陶器製造の濫觴と沿革について記した書。漢字カナ交じり。文禄元年、島津義弘公が朝鮮より帰陣の際に連れ帰った朝鮮の降人が日本に帰化、そのうちの金海(号芳仲)・朴平意等が創始したもの。金海は公に請い栗野に窯を開き、製する陶器が公の意に適い、星山仲次の名と刀・時服を賜り士班に列せられる。その後、帖佐の屋敷内に窯を移転、その頃の製を古薩摩・古帖佐・御判手(義弘が御判手(コハンス)を捺したことによる)と称す。金海は公に請い唐土より黄河の産土と顔料を輸入、茶器を製す。これを帖佐の「火バカリ」と呼ぶ(土、薬、工人が全て他邦の産であるから)。朴平意は串木野に窯を開き、のち苗代川村に移転。義弘の命で領内に白土を探索して良土を発見する。以下、江戸期の沿革について略述する。本文の所々に訂正ある草稿本。自序によれば、著者は嘗て鹿児島県庁農商務課御用掛に勤務、薩摩陶器の起源を知るため種々の書類を調べ、諸方に問い合わせたが、詳細はわからなかった。ある日鹿児島城市街下町呉服町通の諸留熊吉という乾物商店の前を通行中、古帳簿を引き割き、売品を包んでいるのを見、陶器沿革のことが書いてあったため、帳簿と数の子袋20袋を買い入れる。それは伊集院苗代川壺屋陶器所の日記で、土採場所等のことも書いてあった。そのようにして各種の材料を蒐集中に、旧藩主島津忠義の命により、病中にまとめたもの。
備考原装共紙表紙に覆表紙を付す。序2丁は紙質異なり、序文冒頭に「故従一位公爵島津忠義公」とあり(島津忠義は明治30年12月26日没58歳)、後年に認められたもの。
所蔵機関西尾市岩瀬文庫
資料種別芸術 工芸
大分類和書
和分類芸術 工芸 陶芸?
言語日本語
原本の所在・史料群西尾市岩瀬文庫

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