2016年9月15日木曜日

『読売新聞』掲載記事「  「戦後—博多港引き揚げ者らの体験」の紹介

戦後博多港引き揚げ者らの体験

<5>孤児収容所愛情の記憶

聖福寮には6畳の部屋が約30室あった。八巻さんの目には「真新しい立派な建物」に映った(1946年8月撮影、内山和子さん提供)

 成長した姿と再会、元園長感慨深く

 終戦から間もなく丸1年となる1946年8月9日。赤い発疹(はっしん)だらけの男の子や、ソ連(当時)の兵隊の欲望から逃れるために髪を短く切った女の子ら約250人が、引き揚げ船から博多港に下り立った。ほとんどは満州(現中国東北部)で両親と死に別れた孤児たち。特に健康状態が悪い44人は、博多引揚援護局が博多港近くの「聖福寺」(福岡市博多区)に設置した孤児収容所「聖福寮」に運ばれた。

 出迎えたのは、後に園長も務める保母、石賀信子さん(89)(同市中央区)。

以下、省略。
 「戦後博多港引き揚げ者らの体験」

http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/document/013/do_013_060831.htm

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