2023年6月10日土曜日

長門国赤間の関-伊藤家と佐甲家

 赤間の関には、阿弥陀寺町にあった伊藤家「東の本陣」と西南部町にあった佐甲家「西の本陣」は存立した。室町時代以来両家は赤間関の指導者であった。それだけに両家は対立的補完関係にあった。

 例えば、本陣伊藤家は対馬藩主宗氏や柳川藩主立花氏、平戸藩主松浦氏、熊本藩主細川氏、中津藩主奥平氏、岡藩主中川氏、松江藩松平氏などとの深い縁を持っていた。

 一方、佐甲家は薩摩藩島津氏、福岡藩黒田氏、加賀藩などとの縁を有していた。

 家業に関しては、伊藤家は日本に北ルートで来航した唐船(朝鮮船・中国船)から交易品を購入したのに対して、佐甲家は中国南部や東南アジアから南ルートで来航した船舶から交易品を買い付けた。それだけに佐甲家は赤間の関における日明貿易の拠点でもあった永福寺を檀那寺とした。

 なお、朝鮮通信使が来日時に伊藤家当主は赤間関迎接の4、5か月前から厳原を訪問し、事前打ち合わせを行っている。文化8年度(1811)には幕府からの使者であった小倉藩主小笠原忠固(上使)、辰野藩主脇坂安董(副使)らの対馬までの道案内役を務めた。

 

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