松前藩江戸藩邸は、承応2(1653)年の“武州古改江戸図”によると浅草誓願寺前にあり、天和元(1681)年の“武鑑”にも「七千石、松前兵庫頭、元誓願寺前」となっている。
翌年火災によって焼失し、翌々3年浅草観音前に邸地千二百坪を拝領した。
さらに元禄11(1697)年の火災後、谷(やの)蔵に千百四十一坪を賜って移っている。
正徳5(1715)年幕臣細井佐治右衛門の邸地と交換し、下谷新寺町に移り、明治維新までこの地に居住した。この場所は現在の東京都台東区上野小島町に当る。
天保9(1838)年には本所大川端の津軽越中守邸を拝領して下屋敷とした。また、第十七世藩主崇廣が幕府老中となったときは、江戸城常盤橋門内の老中有馬道順邸跡を上屋敷として使用した。
江戸藩邸が火災にあったのは、前後10回に及んでいる。天和2(1682)年12月28日
元禄元(1688)年11月25日
元禄13(1700)年3月
元禄16(1703)年11月29日
享保3(1718)年11月11日
安永元(1772)年2月29日
文化3(1806)年3月4日
安政3(1856)年2月1日
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