石川県河北郡津幡町加茂・船橋の加茂遺跡から出土した木簡を紹介したい。
いずれの時代、いずこにおいても勤勉実直さが美徳であり、推奨された。
○一田夫朝以寅時下田夕以戌時還私状\
○一禁制田夫任意喫魚酒状\
○一禁断不労作溝堰百姓状\
一以五月卅日前可申田殖竟状\
○一可捜捉村邑内竄宕為諸人被疑人状\
○一可禁制无桑原養蚕百姓状\
○一可禁制里邑之内故喫酔酒及戯逸百姓状\
○一可填〔慎ヵ〕勤農業状○□村里長人申百姓名\
URL | https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/MK023121000201 | |
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木簡番号 | 0 | |
本文 | {←符深見村□郷駅長并諸刀弥〔祢〕等\応奉行壱拾条之事\○\○一田夫朝以寅時下田夕以戌時還私状\○一禁制田夫任意喫魚酒状\○一禁断不労作溝堰百姓状\○一以五月卅日前可申田殖竟状\○一可捜捉村邑内竄宕為諸人被疑人状\○一可禁制无桑原養蚕百姓状\○一可禁制里邑之内故喫酔酒及戯逸百姓状\○一可填〔慎ヵ〕勤農業状○□村里長人申百姓名\←案内被国去□〔正ヵ〕月廿八日符併〔偁ヵ〕勧催農業\○□〔有ヵ〕法条而百姓等恣事逸遊不耕作喫\←魚殴乱為宗播殖過時還称不熟只非\←弊耳復致飢饉之苦此郡司等不治\←之□〔期ヵ〕而豈可◇然哉郡宜承知並口示\←事早令勤作若不遵符旨称倦懈\←由加勘決者謹依符旨仰下田領等宜○◇\←毎村屢廻愉〔論ヵ〕有懈怠者移身進郡符\←国道之裔縻羈進之牓示路頭厳加禁\←領刀弥〔祢〕有怨憎隠容以其人為罪背不\←有〔宥ヵ〕符到奉行\○大領錦村主○主政八戸史\○擬大領錦部連真手麿○擬主帳甲臣\○少領道公○夏〈〉○副擬主帳宇治\○□〔擬ヵ〕少領勘了\○嘉祥□〔二ヵ〕年□〔二ヵ〕月□□〔十二ヵ〕日\○□〔二ヵ〕月十五日請田領丈部浪麿} | |
寸法(mm) | 縦 | (233) |
横 | 617 | |
厚さ | 17 | |
型式番号 | 081 | |
出典 | ◎木研23-121頁-2(1) | |
文字説明 | 「填」は異体字「塡」。 | |
形状 | (文字方向に対し)上欠、下欠、上端左右と下端左、左側面下半部に切り込みあり。表面尖った金属を使用し28本の縦界線を引く。{}内横材。 | |
樹種 | 檜 | |
木取り | 板目 | |
遺跡名 | 加茂遺跡 | |
所在地 | 石川県河北郡津幡町加茂・船橋 | |
調査主体 | (財)石川県埋蔵文化財センター | |
発掘次数 | 6 | |
遺構番号 | 大溝 | |
地区名 | ||
内容分類 | 文書 | |
国郡郷里 | 加賀国加賀郡〈越前国加賀郡深見村〉・加賀国加賀郡深見駅〈越前国加賀郡深見駅〉 | |
人名 | 錦村主・八戸史・錦部連真手麿・甲臣・道公夏〈〉・宇治・丈部浪麿 | |
和暦 | 5月30日・(嘉祥2年1月28日)・(嘉祥2年2月12日)・(嘉祥2年2月15日) | |
西暦 | (849)(年), 5;(1);(2);(2)(月), 30;28;(12);15(日) | |
木簡説明 |
■研究文献情報
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