2024年2月4日日曜日

古代の名医ー従六位下太羊甲許母

 



詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AFITB11000371
木簡番号147
本文・◇符○召医許母矣進出急々・◇○五月九日○/家令/家扶∥
寸法(mm)268
41
厚さ5
型式番号011
出典◎平城京1-147(城21-6下(16))
文字説明 
形状 
樹種 
木取り 
遺跡名平城京左京三条二坊一・二・七・八坪長屋王邸
所在地奈良県奈良市二条大路南一丁目
調査主体奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部
発掘次数193E
遺構番号SD4750
地区名6AFITB11
内容分類文書
国郡郷里 
人名許母〈太羊甲許母〉
和暦5月9日
西暦5(月), 9(日)
木簡説明医の許母は、養老五年正月に医術を賞され絁等を賜った従六位下太羊甲許母のことであろう。彼は神亀元年五月に正六位下胛巨茂として再び『続紀』に登場し、この時に城上連を賜った。改姓後は城上連真立と名のったらしく(関晃『帰化人』)、天平二年一二月の大倭国正税帳には正六位上行大掾兼侍医として見え(『大日本古文書』一-四一三頁)、同七年四月に外従五位下に昇叙した著名な医師であった。彼が城上連の姓を賜ったのは木上という地にちなむものであり、長屋王家とは木上司を介してつながりをもったと推定する説(福原栄太郎「長屋王家形成についての基礎的考察」『続日本紀研究』二七七)もある。

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