2025年1月12日日曜日

日向久湯評人□\○漆部佐俾支」の「佐俾支」に関して

 

奈良文化財研究所の「木簡庫」には、下記の文が掲載されている。

私が取り上げたいのは、文中の「二行目の「佐俾支」は「サヒキ」と訓読できる。佐伯のことを「佐匹」(『評制下荷札木簡集成」二六・二三七号)や、「佐俾岐」(『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』)と表記した事例もあり、佐伯は「サヒキ」に近い音であったことがわかる。」である。

 たしかに「「佐俾支」と「佐匹」(『評制下荷札木簡集成」二六・二三七号)やと「佐俾岐」は、「支と岐」の2文字が「キの甲類」であるので、一致する地名である。

 それでは、木簡庫において「佐俾支」が「サヒキ」と訓読できることで、佐伯(サエキ)が「サヒキ」に近い音であるゆえに、同一地名表記だと推定する可能性はどうだろうか。「俾」が「卑」と同一音であるならば、「卑」は「ヒの甲類」である。そうであれば、「Hi(Fi)⇒E」の転化への事例を知らないだけに、木簡庫の推測に違和感を覚える。

この文言は削除すべきではないだろうか。



■詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/5AWHHG14000101
木簡番号1497
本文・○日向久湯評人□\○漆部佐俾支治奉牛卅\○又別平群部美支□・故是以○皆者亡賜而○偲
寸法(mm)(161)
58
厚さ6
型式番号019
出典飛鳥藤原京2-1497(木研25-26頁-(46)・飛17-39上・飛16-13上(55))
文字説明表面上部の余白に不明瞭ながら墨痕のような陰が認められ、削り残りの可能性もある。
形状上削り、左削り、右削り、下二次的切断(表側から刃を入れる)、表面下部一部剥離。
樹種
木取り板目
遺跡名藤原京左京七条一坊西南坪
所在地奈良県橿原市上飛騨町
調査主体奈良文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数飛鳥藤原第115次
遺構番号SX501
地区名5AWHHG14
内容分類文書
国郡郷里日向国児湯郡日向国久湯評
人名漆部佐俾支・平群部美支□
和暦 
西暦 
木簡説明本木簡はSX五〇一南岸よりもやや南方で出土したが、土層の類似から便宜上SX五〇一出土木簡に含めた。上端・左右両辺削り。下端は表側から刃を入れて二次的に切断する。また、下端より約五〇㎜の位置には、表側に向かってへし折ろうとした痕跡が認められる。下端の切断と同様、やや左下がりとなっており、一連の措置の可能性が高い。表側は上端より約四〇㎜あけて文字を記すのに対して、裏側は上端からただちに文字を記す。表裏は同筆とみてよいが、内容的に関連するかどうかは不明。このほかにも、釈文には掲げなかったが、表側上部の余白には不明瞭ながら墨痕のような陰が認められ、削り残りの可能性もある。一行目の「日向久湯評」は『和名抄』日向国児湯郡に相当する。「久(く)」と「児(こ)」の通用は珍しくない。「人」字以下は下端の二次的切断にともなって剥離する。二行目の「佐俾支」は「サヒキ」と訓読できる。佐伯のことを「佐匹」(『評制下荷札木簡集成」二六・二三七号)や、「佐俾岐」(『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』)と表記した事例もあり、佐伯は「サヒキ」に近い音であったことがわかる。「治奉」は貢進の意で使用したものであろうか。「牛」は牛皮であろう。日向国は牛・馬の官牧が多く存在したことで著名。『日本書紀』持統三年(六八九)正月壬戌条には、筑紫大宰は隼人一七四人・布五〇常・鹿皮五〇枚とともに牛皮六枚を献上したとあり、平城宮東院の東南隅部では日向国から牛皮四枚を貢進した際の荷札木簡二点が出土している(『平城木簡概報六』六頁下)。牛皮三〇枚が宮城四隅疫神祭で幣帛として利用された可能性を含めて、検討を要する。三行目の「平群了」は、児湯郡に平群郷が存在することと関係しよう。一方、裏側は右端に一行分の記載しかなく、表側と異なって上端部から文字が記されている。「故ニ是ヲ以テ皆ハ亡クナリ賜ハリテ偲ビ…」と訓読するか。

■研究文献情報

当該木簡を取り上げている研究文献一覧を表示します

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