永禄12年(1569)閏5月4日来次市庭中黒印状によると、広田氏は木次を本拠地として斐伊川上流から運搬されてくる「鉄」の流通に大きく関与した。
木次に広田氏、三刀屋に三刀屋氏、熊谷に小川氏が狭い地域ながら覇権を争った。
広田氏の源流は湯氏である。
鎌倉期、斐伊川下流域は守護佐々木氏と在国司朝山氏で2分されていたが、中流域は広田氏・三刀屋氏・小川氏の勢力争いが続いた。
今後、我がてもとのノートに収録した各種資料を取りまとめて、命ある限り、大原郡史を作り直すつもりである。
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