この資料が面白い。
竹内理三編「鎌倉遺文」第14巻、東京堂出版および『新修島根県史』通史篇1などで活字版を見ることが可能。
この文に見るように、相撲は
「且相撲者、為往古国中白丁之処、近古以来雇下京都相撲之間、往反之用途・禄物之過差、人民之任■、雇在于此事云々、永停止京都相撲下向、可雇用当国之相撲」
であった。つまり元々は在地の力自慢が相撲を取っていたにもかかわらず、いつのまにか「京都相撲」という専門職業集団が杵築大社に雇用されるようになった(『出雲杵築社造営所注進状』建長元 <1249>) 。
今、この杵築大社相撲節会とか相撲専門集団などの紹介は各専論に委ねたい。
本資料で興味深いのは出雲国内の庄園・公領138か所の5310町6反300歩を各所およそ260町別にして20番編成に組み上げて、各番ごとに荘園の田数と共に地頭を記していることである。例えば、20番のうち17番に属する「忌部保 20丁9反300歩」とあり,地頭名は土屋四郎左衛門入道とある。
このように、出雲国の138か所の地名と地頭名のリストが列挙されている。
本欄で、その全体データを記したいが、ブログにはExcelを挿入できないために、我がコンピュータリテラシーが向上して、その日が来るまでお預けとする。
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