2024年2月21日水曜日

古代建築材に関する研究

  古代建築の用材や出土コウヤマキ材に注目した研究は多い。代表的なものとして以下をあげる。

西岡常一・小 原二郎『法隆寺を支えた木』(NHKブックス318、日本放送出版協会、1978年6月)、

岡田英男「古代建築に使った 木」(『普請研究』8、1984年6月)、

『古墳時代木棺の用材選択に関する研究』(平成15~平成17年度科学研究費補助 金基盤研究(C)(2)研究成果報告書、研究代表者岡林孝作)

、『古墳時代におけるコウヤマキ材の利用実態に関する 総合的研究』(平成18~平成20年度科学研究費補助金基盤研究(B)研究成果報告書、研究代表者岡林孝作)、

裕 明「古墳時代王権中枢のコウヤマキ利用」(『博古研究』46、2013年10月

2024年2月20日火曜日

日本の相撲の源流を探る

 正倉院所蔵の『周防国正税帳』天平10年に、相撲に関する興味深い記事がある。

6月20日条:長門国相撲人3人

6月21日条:周防国相撲人3人

の記事である。平城京へ向かう6人であるが、いずれも相撲取りとある。両国から選抜された、腕っぷしの強い力自慢の者たちが平城京での相撲大会に出場したかもしれない。

どうやら各国から相撲取り(相撲人)が平城京へ派遣されたらしい。平城京場所の具体像は不明であるが。ジョークは別としても、相撲本来が神事であったと考えられるので、その儀式に参加する力士であったらしい。


なお、次の木簡も相撲に関係するが、この人物も平城京場所に出場したかもしれない。出土場所が「平城京式部省東方」とあり、相撲会場とは無関係である。「木善佐美」は「しこ名」かとも思えるが、この時代に勧進相撲はあり得ないので、名前であろう。

詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AAIBN14000111
木簡番号0
本文・甲斐○□□ε(二人の人物画)・【千□】○木善佐美\○人国国\○忍○乃止国○未年ε(相撲絵)
寸法(mm)(209)
47
厚さ4
型式番号065
出典木研20-17頁-1(98)(城34-20下(214))
文字説明 
形状上欠(折れ)、下欠(折れ)、左削り、右削り。
樹種 
木取り 
遺跡名平城宮式部省東方・東面大垣東一坊大路西側溝
所在地奈良県奈良市佐紀町・法華寺町
調査主体奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部
発掘次数274
遺構番号SD4951
地区名6AAIBN14
内容分類文書?・習書
国郡郷里 
人名木善佐美
和暦 
西暦 
木簡説明 

2024年2月4日日曜日

玄界灘に浮かぶ大島方言 米と酒

 『大島村史』昭和60年、588頁に、大島村方言として

*米=シャリ(梵語・朝鮮語)

*酒=チンタ(南蛮語)

とある。

たしかに本土では、お寿司屋さんでお米を「シャリ」と呼ぶ。しかし、それ以外の一般家庭や冠婚葬祭など場所でも、日常生活で「シャリ」ということはない。

 同書では、現代朝鮮語の 쌀 を連想しているが、それが正解かどうかは不明である。


チンタは、

(ポルトガル語)vinho tinto》赤ぶどう酒。

に由来するだろう。






古代の女性医師ーー竹野王子女医

 



詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AFITE11000445
木簡番号0
本文・竹野王子女医二口・一升半受真木女
寸法(mm)(107)
17
厚さ5
型式番号019
出典城23-8上(40)
文字説明 
形状 
樹種 
木取り 
遺跡名平城京左京三条二坊一・二・七・八坪長屋王邸
所在地奈良県奈良市二条大路南一丁目
調査主体奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部
発掘次数193E
遺構番号SD4750
地区名6AFITE11
内容分類文書
国郡郷里 
人名竹野王子・真木女
和暦 
西暦 
木簡説明 

■研究文献情報

当該木簡を取り上げている研究文献一覧を表示します。

古代の名医ー従六位下太羊甲許母

 



詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AFITB11000371
木簡番号147
本文・◇符○召医許母矣進出急々・◇○五月九日○/家令/家扶∥
寸法(mm)268
41
厚さ5
型式番号011
出典◎平城京1-147(城21-6下(16))
文字説明 
形状 
樹種 
木取り 
遺跡名平城京左京三条二坊一・二・七・八坪長屋王邸
所在地奈良県奈良市二条大路南一丁目
調査主体奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部
発掘次数193E
遺構番号SD4750
地区名6AFITB11
内容分類文書
国郡郷里 
人名許母〈太羊甲許母〉
和暦5月9日
西暦5(月), 9(日)
木簡説明医の許母は、養老五年正月に医術を賞され絁等を賜った従六位下太羊甲許母のことであろう。彼は神亀元年五月に正六位下胛巨茂として再び『続紀』に登場し、この時に城上連を賜った。改姓後は城上連真立と名のったらしく(関晃『帰化人』)、天平二年一二月の大倭国正税帳には正六位上行大掾兼侍医として見え(『大日本古文書』一-四一三頁)、同七年四月に外従五位下に昇叙した著名な医師であった。彼が城上連の姓を賜ったのは木上という地にちなむものであり、長屋王家とは木上司を介してつながりをもったと推定する説(福原栄太郎「長屋王家形成についての基礎的考察」『続日本紀研究』二七七)もある。

■研究文献情報

古代の医薬品

 

1)楡皮


*********

詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDB64000109
木簡番号1739
本文□□〔楡皮ヵ〕五斤
寸法(mm)125
17
厚さ3
型式番号032
出典藤原宮4-1739(飛9-10上(45))
文字説明 
形状上削り、下切断、左削り、右削り。
樹種ヒノキ科#
木取り板目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDB64
内容分類付札
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明上端・左右両辺削り、下端切断。「楡皮(ユヒ)」は、楡白皮あるいは零楡に同じ。ニレ科の落葉高木ユジュの周皮を除いた樹皮あるいは根皮に比定される。『本草集注』草木上品、『本草和名』木上に「也尓礼」、『医心方』に「也尓礼、以倍尓礼」、内閣文庫本『延喜式』典薬寮に「ヤニレノカハ」(93紀伊年料雑薬条)とみえ、『延喜式』典薬寮に、伊勢・美濃・出雲・紀伊各国の年料雑薬としてみえる(50伊勢年料雑薬条・64美濃年料雑薬条・83出雲年料雑薬条・93紀伊年料雑薬条)。楡皮は薬用以外に食用にも供され、皮を剝いだニレの皮を吊して乾かしてから臼でつき粉末にして食した。その工程は、『万葉集』巻十六―三九〇八番歌にもみえる(瀧川政次郎「楡樹楡皮考」『日本上古史研究』七―三、一九六三年)。藤原宮跡北面外濠SD一四五(第一八次調査)から「楡皮」と記した木簡が出土している(『藤原宮木簡一』一六一)。また、天平十一年(七三九)八月二十四日写経司解(正倉院文書続修後集第三十一巻④、『大日本古文書』二―一八四頁)に、「尓礼廿七把○價銭六十六文」とみえる。

■研究文献情報


(2)防風

詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDB64000112
木簡番号1721
本文・/出雲臣首万□/○/出雲臣石寸∥○/〈〉/出雲臣知万呂∥○防風十斤十二□〔両ヵ〕・○〈〉
寸法(mm)(272)
(25)
厚さ2
型式番号081
出典藤原宮4-1721(木研11-33頁-2(1)・飛9-11上(65))
文字説明 
形状上削りヵ、下二次的切断ヵ、左欠(割れ)、右欠(割れ)。
樹種ヒノキ科#
木取り板目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDB64
内容分類文書
国郡郷里 
人名出雲臣首万□・出雲臣石寸・出雲臣知万呂
和暦 
西暦 
木簡説明上端削りか、下端二次的切断か、左右両辺割れ。薬物の支給に関わる文書であろう。大宝二年(七〇二)九月、出雲狛が臣の姓を賜っている(『続日本紀』同月乙酉条)。「防風(ボウフウ)」は、セリ科の多年草ボウフウの根に比定される。『本草集注』草木中品、『本草和名』草上・『医心方』に「波末須加奈、波末尓加奈」、内閣文庫本『延喜式』典薬寮に「ハマオホ」(2朧月御薬条)とみえ、『延喜式』典薬寮に、駿河・伊豆・相模・上野各国の年料雑薬としてみえる(54駿河年料雑薬条・55伊豆年料雑薬条・57相模年料雑薬条・67上野年料雑薬条)。養老雑令によると、銀・銅・穀を量るには大斤、その他には小斤が用いられ(2度地条)、『延喜式』雑式によると、薬用を除き大斤が用いられた(7度量権衡条)。大一斤は一八〇匁(約六七四g)で、大一斤(大一六両)は小三斤(小一斤は小一六両)にあたるから、小一斤は約二二五g、小一両は約一四gである。

■研究文献情報


(3)芎窮


■詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDB64000103
木簡番号1727
本文・伊看我評・芎窮八斤
寸法(mm)90
24
厚さ4
型式番号032
出典藤原宮4-1727(荷札集成-148・木研11-33頁-2(5)・飛9-9下(34))
文字説明 
形状上削り、左削り、右削り。下端切断後表裏から面取り。
樹種ヒノキ科#
木取り板目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDB64
内容分類荷札
国郡郷里丹波国何鹿郡伊看我評
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明上端・左右両辺削り、下端切断の後表裏から面取り。「伊看我評」は、『和名抄』の丹波国何鹿郡にあたる。「芎窮(キュウキュウ)」は、川芎(センキュウ)ともいい、セリ科の多年草センキュウの根茎に比定される。『本草集注』草木中品、『本草和名』草上・『医心方』に「於无奈加都良久佐」、内閣文庫本『延喜式』典薬寮に「オウナカツラクサ」(3中宮朧月御薬条)とみえ、『延喜式』典薬寮に、丹波など十二箇国の年料雑薬としてみえる(78丹波年料雑薬条など)。

■研究文献情報



(4)当帰


詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDA64000101
木簡番号1728
本文・伊看我評・当帰五斤
寸法(mm)94
23
厚さ4
型式番号032
出典藤原宮4-1728(荷札集成-149・飛20-28上・木研11-34頁-2(6)・飛9-9下(35))
文字説明 
形状下削り、左削り、右削り、上端切断の上表裏ともに面取りする。下端左右両角を削り落とす。
樹種ヒノキ科#
木取り板目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDA64
内容分類荷札
国郡郷里丹波国何鹿郡伊看我評
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明上端切断の後表裏から面取り、下端・左右両辺削り。「当帰(トウキ)」は、セリ科の多年草トウキ(和名カラトウキ)の根に比定される。『本草集注』草木中品、『本草和名』草中に「也末世利、宇末世利、加波佐久」、『医心方』に「宇末世利、也末世利、於保世利、加波佐久」とみえる。『延喜式』典薬寮に、丹波国が当帰を貢納する規定はみえないが(78丹波年料雑薬条)、隣国の但馬国に「当帰十斤」の規定があるなど十七箇国の年料雑薬としてみえる(80但馬年料雑薬条など)。奈良県飛鳥京跡苑池遺構から「当帰二両」(奈良県立橿原考古学研究所『史跡・名勝飛鳥京跡苑池(一)』五一号)と記した木簡が出土している。

■研究文献情報


(5)・□□〔決明ヵ〕子四両四両桂心三両白芷三両\○□○車前子三両防風三両・/○□両/柏実一両∥○右九物


■詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDB64000108
木簡番号1722
本文・□□〔決明ヵ〕子四両桃四両桂心三両白芷三両\○□○車前子三両防風三両・/○□両/柏実一両∥○右九物
寸法(mm)173
25
厚さ4
型式番号011
出典藤原宮4-1722(木研11-33頁-2(3)・飛9-11上(68))
文字説明裏面「柏」は異体字「栢」。
形状上切断後粗い削り、下削り、左削りヵ、右削りヵ。裏面下端部は墨を塗っている。
樹種ヒノキ科#
木取り板目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDB64
内容分類文書
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明上端切断後粗い削り、下端削り、左右両辺削りか。裏面下端部は墨を塗っている。薬物の支給に関わる文書ないし薬物の処方に関する文書であろう。元来、表面二行目と裏面一行目の判読できない箇所に一つずつ薬名が記されていたとすれば、九種類の薬名が記されていたことになり、「右九物」の記載と品数は一致する。

決明子(ケツメイシ)」は、マメ科の一年草ケツメイ(和名コエビスグサ)の成熟した種子に比定される。『本草集注』草木中品、『本草和名』草上・『医心方』に「衣比須久佐」、内閣文庫本などの『延喜式』典薬寮に「エヒスクスリ」(58武蔵年料雑薬条)とみえ、『延喜式』典薬寮に、駿河など十箇国の年料雑薬としてみえる(54駿河年料雑薬条など)。「桃(トウ)」は、後掲「桃人(トウニン)」(一七五二)を参照。
桂心(ケイシン)」は、クスノキ科の常緑高木肉桂(ニッケイ。和名ケイ)の幹皮と枝皮に比定される。『本草集注』草木上品に「桂」、『本草和名』木上、『和名抄』に「桂女加豆良」とみえる。藤原宮跡北辺地区から「桂心一両二分」(奈良県『藤原宮』八一号)、飛鳥池遺跡北地区溝SD一一一〇(第八四次調査)から「桂心二両」(『飛鳥藤原京木簡』一―七一一)と記した木簡が出土している。桂心は、『延喜式』典薬寮の諸国進年料雑薬にみえず、国内で自給できなかったらしい。天平勝宝八歳(七五六)六月二十一日献物帳(種々薬帳〈正倉院文書北倉158二巻の内。『大日本古文書』四―一七三頁〉)にみえる大仏に献納された正倉院薬物の桂心は、華南を産地とするものであり、また、奈良時代には新羅との交易で入手した例が知られる(天平勝宝四年六月十五日中臣伊勢連老人買物解〈尊経閣文庫所蔵文書。『大日本古文書』二十五―四五頁〉など)。「白芷(ビャクシ)」は、セリ科の多年草興安白芷(コウアンビャクシ。和名ヨロイグサ)などの根に比定される。『本草集注』草木中品、『本草和名』草中に「加佐毛知、佐波宇止、与呂比久佐」、『医心方』に「加佐毛知、与呂比久佐、佐波宇止、佐波曽良之」、内閣文庫本などの『延喜式』典薬寮に「ムマクサ」(21近衛府雑薬条)、「ミラネクサ」(50伊勢年料雑薬条)とみえ、『延喜式』典薬寮に、大和など十八箇国の年料雑薬としてみえる(46大和年料雑薬条など)。藤原宮跡北辺地区から「白芷二両」(奈良県『藤原宮』七四号)と記した木簡が出土している。「車前子(シャゼンシ)」は、オオバコ科の多年草車前(シャゼン。和名オオバコ)などの種子に比定される。『本草集注』草木上品、『本草和名』草上に「於保波古」、『医心方』に「於保波己」とみえ、『延喜式』典薬寮に、大和など十七箇国の年料雑薬としてみえる(46大和年料雑薬条など)。藤原宮跡北辺地区から「車前子一升」(奈良県『藤原宮』七五号)と記した木簡が出土している。
「防風(ボウフウ)」は、一七二一。「
栢実(ハクジツ)」は、ヒノキ科の常緑高木側柏(ソクハク。和名コノテガシワ)の種子に比定され、「栢子仁(ハクシジン)」に同じ。『本草集注』草木上品、『本草和名』木上に「比乃美、加倍乃美」、『医心方』に「比乃美」とみえ、『延喜式』典薬寮に、参河など五箇国の年料雑薬としてみえる(52参河年料雑薬条など)。

■研究文献情報


(6)〓茄十斤


詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDB64000101
木簡番号1746
本文〓茄十斤
寸法(mm)125
20
厚さ2
型式番号031
出典藤原宮4-1746(木研11-34頁-2(11)・飛9-9下(41))
文字説明「〓」は「くさかんむり」に「五」。
形状上削り、下削り、左削り、右削り。
樹種ヒノキ属△
木取り板目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDB64
内容分類付札
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明四周削り。「〓(草冠+五)(五)茄(皮)(ゴカ・ゴカヒ)」は、ウコギ科の落葉低木ゴカなどの根皮に比定される。『本草集注』草木下品、『本草和名』木上に「牟古岐」、『医心方』に「牟古支」とみえ、『延喜式』典薬寮に、伊勢など十一箇国の年料雑薬としてみえる(50伊勢年料雑薬条など)。

■研究文献情報


(7)瞿麦一斤十両


■詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDB64000106
木簡番号1743
本文瞿麦一斤十両
寸法(mm)115
13
厚さ3
型式番号032
出典藤原宮4-1743(木研11-34頁-2(12)・飛9-10上(44))
文字説明 
形状上削り、下削り、左削り、右切り込みより上は削り、下は割れ。
樹種ヒノキ科#
木取り追柾目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDB64
内容分類付札
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明上下両端・左辺削り、右辺切り込みより上は削り、下は割れ。
「瞿麦(クバク)」は、ナデシコ科の多年草クバク(和名エゾカワラナデシコ)、あるいは石竹(セキチク)の花を含む全草に比定される。『本草集注』草木中品、『本草和名』草中・『医心方』に「奈天之古」、内閣文庫本などの『延喜式』典薬寮に「トコナツ、ナテシコ」(49伊賀年料雑薬条)、『和名抄』に「奈天之古、止古奈豆」とみえ、『延喜式』典薬寮に、伊賀など六箇国の年料雑薬としてみえる(49伊賀年料雑薬条など)。『万葉集』にも、なでしこを「瞿麦」と表記する例がみえる(巻三―四六七番歌題詞、巻八―一五〇〇番歌・一五四二番歌・一五五三番歌・一六一四番歌、巻十―一九七六番歌)。

■研究文献情報



(8)人参

■詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDB64000102
木簡番号1733
本文人参十斤
寸法(mm)129
20
厚さ3
型式番号032
出典藤原宮4-1733(木研11-34頁-2(9)・飛9-9下(39)・日本古代木簡選)
文字説明 
形状上削り、下削り、左削り、右削り。
樹種針葉樹材C(ヒノキ科)△
木取り板目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDB64
内容分類付札
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明四周削り。
「人参(ニンジン)」は、ウコギ科の多年草ニンジン(和名オタネニンジン)の根に比定される。『本草集注』草木上品、『本草和名』草上に「加乃尓介久佐、尓己太、久末乃以」、『医心方』に「加乃尓介久佐、尓己太、クマノイ」、内閣文庫本『延喜式』典薬寮に「ニコタクサ」(18斎宮寮雑薬条)とみえ、『延喜式』典薬寮に、摂津など十箇国の年料雑薬としてみえる(47摂津年料雑薬条など)。藤原宮跡東面外濠SD一七〇(第二七次調査)から「人参一両」と記した木簡が出土している(『藤原宮木簡三』一一〇八)。

■研究文献情報


(9)桔梗


詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDC64000131
木簡番号1725
本文无耶志国薬桔梗卅斤
寸法(mm)191
18
厚さ3
型式番号033
出典藤原宮4-1725(荷札集成-73・木研11-34頁-2(8)・飛9-9下(37)・日本古代木簡選)
文字説明 
形状上削り、下削り、左削り、右削り、上端表裏とも面取りする。
樹種ヒノキ科#
木取り板目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDC64
内容分類荷札
国郡郷里武蔵国无耶志国
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明四周削り。「无耶志国」は、『古事記』にも「無耶志」とみえる武蔵国の古様な国名表記である(天安河之宇気比段)。「桔梗(キキョウ)」は、キキョウ科の多年草キキョウの根に比定される。『本草集注』草木中品、『本草和名』草下・『医心方』に「阿利乃比布岐、乎加止〻岐」、内閣文庫本などの『延喜式』典薬寮に「アリノヒフキクサ」(19内匠寮雑薬条など)、『新撰字鏡』に「阿佐加保、岡止〻支」とみえ、『延喜式』典薬寮に、武蔵など二十四箇国の年料雑薬としてみえる(58武蔵年料雑薬条など)。「无耶志国」の表記は、一七二六にもみえるとともに、国の下に「薬」とあり、早い段階の「国薬」として国を単位とした薬物貢納の姿が窺われる(丸山裕美子「延喜典薬式「諸国年料雑薬制」の成立と『出雲国風土記』」前掲)。

■研究文献情報


(10)


詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDC64000102
木簡番号1726
本文无耶志国薬烏
寸法(mm)162
17
厚さ4
型式番号032
出典藤原宮4-1726(飛20-31下・荷札集成-74・木研11-34頁-2(7)・飛9-9下(36))
文字説明 
形状上削り、下削り、左削り、右削り、上端緩やかな圭頭形。
樹種ヒノキ科#
木取り柾目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDC64
内容分類荷札
国郡郷里武蔵国无耶志国
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明四周削り。「烏」は不詳だが、『延喜式』典薬寮に烏頭がみえ(58武蔵年料雑薬条)、あるいはこれを指すか。「
烏頭(ウズ)」は、キンポウゲ科の多年草ウズ(トリカブト)の野生種北烏頭(ホクウズ。和名エゾトリカブト)あるいはその他多種の同属植物の塊根に比定される。『本草集注』草木下品、『本草和名』草下に烏〓(喙の別字)・天雄・附子・側子と共に「已上五種和名於宇」、『医心方』に「於宇」とみえ、『延喜式』典薬寮に、武蔵・近江・下野各国の年料雑薬としてみえる(58武蔵年料雑薬条・63近江年料雑薬条・68下野年料雑薬条)。『唐律疏議』巻十八、賊盗律に毒薬の一つとしてみえ(16以毒薬薬人条)、日本律にも同様にみえる(16毒薬条)。

■研究文献情報


(11)棑子一斗


詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDC64000122
木簡番号1749
本文棑子一斗
寸法(mm)91
13
厚さ3
型式番号032
出典藤原宮4-1749(飛9-10下(55))
文字説明 
形状上削り、下削り、左削り、右削り。
樹種ヒノキ科#
木取り柾目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDC64
内容分類付札
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明四周削り。
「棑(榧)子(ヒシ)」は、イチイ科の常緑高木榧(ヒ。和名カヤ)の種子に比定される。『本草集注』草木下品に「榧実」、『本草和名』木下・『医心方』に「榧実○加倍乃美」とみえ、『延喜式』典薬寮に、大和など二十四箇国の年料雑薬としてみえる(46大和年料雑薬条など)。

■研究文献情報


(12)大戟


■詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDC64000103
木簡番号1744
本文大戟
寸法(mm)103
20
厚さ3
型式番号032
出典藤原宮4-1744(木研11-34頁-2(15)・飛9-10上(48))
文字説明 
形状上削り、下切断、左削り、右削り。
樹種ヒノキ科#
木取り柾目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDC64
内容分類付札
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明上端・左右両辺削り、下端切断。「大戟(ダイゲキ)」は、トウダイグサ科の多年草ダイゲキ(和名タカトウダイ)などの根に比定される。『本草集注』草木下品、『本草和名』草下・『医心方』に「波也比止久佐」、内閣文庫本などの『延喜式』典薬寮に「ヒヽラキ」(6雑給料条)、国立歴史民俗博物館蔵田中教忠旧蔵土御門本(以下、土御門本)『延喜式』典薬寮に「ムヤヒトクサ」とみえ(18斎宮寮雑薬条)、『延喜式』典薬寮に、大和など十一箇国の年料雑薬としてみえる(46大和年料雑薬条など)。

■研究文献情報


(13)蛇床子一升


詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDC64000104
木簡番号1738
本文蛇床子一升
寸法(mm)87
14
厚さ2
型式番号032
出典藤原宮4-1738(木研11-34頁-2(16)・飛9-10上(49))
文字説明「蛇」は異体字「虵」。
形状上削り、下削り、左削り、右削り。
樹種ヒノキ科#
木取り柾目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDC64
内容分類付札
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明四周削り。
「蛇床子(ジャショウシ)」は、セリ科の一年草ジャショウの果実に比定される。『本草集注』草木上品、『本草和名』草上・『医心方』に「比留无之呂、波末世利」とみえ、『延喜式』典薬寮に、尾張など十箇国の年料雑薬としてみえる(51尾張年料雑薬条など)。

■研究文献情報


(14)蛇脱皮


詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDC64000111
木簡番号1751
本文蛇脱皮一□
寸法(mm)92
16
厚さ4
型式番号032
出典藤原宮4-1751(木研11-34頁-2(17)・飛9-10上(51))
文字説明「蛇」は異体字「虵」。五文字目は「斗」または「升」か。
形状上削りヵ、下切断、左削り、右削り、二片分離。
樹種ヒノキ科#
木取り板目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDC64
内容分類付札
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明上端削りか、下端切断、左右両辺削り。五文字目は助数詞で、斗または升か。
蛇脱皮(ダダッピ)」は、「蛇脱(蛻)(ダゼイ)」ともいい、ヘビ科の多種の動物の抜けがらに比定される。『本草集注』虫獣下品、『本草和名』虫魚類・『医心方』に「倍美乃毛奴介」、土御門本『延喜式』典薬寮に「クチナハノモヌケ」とみえ(49伊賀年料雑薬条)、『延喜式』典薬寮に、伊賀など六箇国の年料雑薬としてみえる(49伊賀年料雑薬条など)。

■研究文献情報


(15)白朮


詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDC64000112
木簡番号1731
本文白朮四□
寸法(mm)90
16
厚さ3
型式番号032
出典藤原宮4-1731(木研11-34頁-2(19)・飛9-10上(52))
文字説明四文字目は「斗」または「升」であろう。
形状上削り、下削り、左削り、右削り。上端左右にわずかに切り込みの痕跡が残る。
樹種ヒノキ△
木取り柾目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDC64
内容分類付札
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明四周削り。上端左右にわずかに切り込みの痕跡が残る。四文字目は助数詞で、斗または升であろう。
「白朮(ビャクジュツ)」は、キク科の多年草ビャクジュツ(和名オオバナオケラ)の根茎に比定される。『本草集注』草木上品に「朮」、『本草和名』草上・『医心方』に「朮○乎介良」とみえ、『延喜式』典薬寮に、山城など三十三箇国の年料雑薬としてみえる(45山城年料雑薬条など)。天武天皇十四年(六八五)九月、天皇の病のために誦経が行なわれ、十月、十一月には白朮を煎じさせたとみえる(『日本書紀』同年九月丁卯条、十月庚辰条、十一月丙寅条)。現在でも胃腸薬に配合されており、日本古典文学大系『日本書紀』下(岩波書店、一九六五年)の頭注は胃薬として用いたと解釈する。『万葉集』には、「うけら」の語で東歌武蔵国歌に二首みえるほか(巻十四―三三九三番歌・三三九七番歌)、国不詳の相聞歌一首にもみえる(巻十四―三五二四番歌)。

■研究文献情報


(16)「独活(ドッカツ)」

詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDC64000119
木簡番号1737
本文独活十斤
寸法(mm)88
21
厚さ3
型式番号032
出典藤原宮4-1737(木研11-34頁-2(20)・飛9-10下(53))
文字説明 
形状上削り、下削り、左削り、右削り。
樹種ヒノキ科#
木取り板目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDC64
内容分類付札
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明四周削り。
「独活(ドッカツ)」は、セリ科の多年草毛当帰(モウトウキ。和名シシウド)などとウコギ科の多年草食用楤木(ショクヨウソウボク。和名ウド)などの根と根茎に比定される。『本草集注』草木上品、『本草和名』草上・『医心方』に「宇止、都知多良」、内閣文庫本『延喜式』典薬寮に「ムマタラ」(1元日御薬条)、『新撰字鏡』に「宇度、乃太良」とみえ、『延喜式』典薬寮に、山城など二十七箇国の年料雑薬としてみえる(45山城年料雑薬条など)。平城宮跡内裏北方官衙地区南北溝SD二七〇〇B(第一二九次調査)から「独活壱両」(『平城木簡概報』十五―一二頁下)、藤原宮跡朝堂院回廊東南隅溝SD九八一五(第一二八次調査)から「独活五両」(『藤原木簡概報』十八―一八頁上)と記した木簡が出土している。

■研究文献情報


(17)葛根(カッコン)」

詳細葛根(カッコン)」

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDC64000120
木簡番号1741
本文葛根六斤
寸法(mm)79
19
厚さ5
型式番号032
出典藤原宮4-1741(木研11-34頁-2(21)・飛9-10下(54))
文字説明 
形状上削り、下削り、左削り、右削り。
樹種ヒノキ科#
木取り板目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDC64
内容分類付札
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明四周削り。
「葛根(カッコン)」は、マメ科のつる性木本葛(カツ。和名クズ)の塊根に比定される。『本草集注』草木中品、『本草和名』草中・『医心方』に「久須乃祢」、元和本『和名抄』に「久須加豆良乃祢」とみえ、『延喜式』典薬寮に、山城・伊勢・近江・紀伊各国の年料雑薬としてみえる(45山城年料雑薬条・50伊勢年料雑薬条・63近江年料雑薬条・93紀伊年料雑薬条)。『本草集注』によると、五月五日の日中に採り、屑にするという。推古天皇十九年(六一一)五月五日、同二十年五月五日および同二十二年五月五日に薬猟の記事がみえ(『日本書紀』同日条)、和田萃は、この頃までに五月五日の薬猟が宮廷行事として確立していたのではないかという(和田「薬猟と本草集注―日本古代における道教的信仰の実態」前掲)。

■研究文献情報


(18)「黒石英(コクセキエイ)」

詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDC64000121
木簡番号1729
本文・黒石英十一・斤
寸法(mm)82
17
厚さ3
型式番号032
出典藤原宮4-1729(木研11-34頁-2(27)・飛9-10下(61))
文字説明 
形状上削り、下削り、左削り、右削り。
樹種ヒノキ科#
木取り柾目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDC64
内容分類付札
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明四周削り。
「黒石英(コクセキエイ)」は、鉱物性の生薬で、『名医別録』・『本草集注』の白石英(ハクセキエイ)の項には、白石英のうち黒端を黒石英というとある。白石英は、酸化物類の鉱物の鉱石。白石英・紫石英(シセキエイ)は『本草集注』玉石上品、『本草和名』玉石上にみえる。『医心方』に「紫石英○出伯耆国」「白石英○出近江備中大宰」とみえ、産地が示される。内濠SD一四〇〇から、白石英が出土している。なお、黒石英は、紫石英(あるいは紫水晶)の色の濃いものとする理解もある(立木修「藤原宮出土の薬物木簡と古代医療の一側面」前掲)。

■研究文献情報

19)「夜干(ヤカン)」

詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDD64000113
木簡番号1723
本文・□□□〔夜干ヵ〕三両杜中・〈〉
寸法(mm)(107)
14
厚さ3
型式番号081
出典藤原宮4-1723(木研11-33頁-2(4)・飛9-11上(69))
文字説明 
形状上欠(折れ)、下欠(折れ)、左削り、右削り。
樹種ヒノキ科#
木取り板目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDD64
内容分類文書
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明上下両端折れ、左右両辺削り。薬物の支給に関わる文書ないし薬物の処方に関する文書であろう。

「夜干(ヤカン)」は、アヤメ科の多年草射干(ヤカン。和名ヒオウギ)の根茎に比定される。『本草集注』草木下品、『本草和名』草下に「加良須阿布岐」、『医心方』に「加良須安不岐」とみえ、『延喜式』典薬寮に、山城など十六箇国の年料雑薬としてみえる(45山城年料雑薬条など)。「杜中(仲)(トチュウ)」は、トチュウ科の落葉高木トチュウの樹皮に比定される。『本草集注』草木上品、『本草和名』木上に「波比末由美」、『医心方』に「波比末由三」、内閣文庫本などの『延喜式』典薬寮に「ハヒマユカ」とみえ(51尾張年料雑薬条)、『延喜式』典薬寮に、摂津など十三箇国の年料雑薬としてみえる(47摂津年料雑薬条など)。

■研究文献情報

(20)知苺(母)(チモ)」

■詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDD64000111
木簡番号1742
本文知苺五斤
寸法(mm)156
18
厚さ4
型式番号031
出典藤原宮4-1742(木研11-34頁-2(23)・飛9-10下(57))
文字説明 
形状上削り、下削り、左削り、右削り。
樹種ヒノキ△
木取り板目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDD64
内容分類付札
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明四周削り。
知苺(母)(チモ)」は、ユリ科の多年草チモ(和名ハスナゲ)の根茎に比定される。『本草集注』草木中品、『本草和名』草中に「也末止古呂」、『医心方』に「也末止己呂、也末志」とみえ、『延喜式』典薬寮に、摂津など八箇国の年料雑薬としてみえる(47摂津年料雑薬条など)。藤原宮跡西面内濠SD一四〇〇(第一〇次調査)から「知母九斤」と記した木簡が出土している(『藤原宮木簡一』四九〇)。



知母は薬物。和名をヤマシまたはヤマトコロモという(『本草和名』『医心方』)。陶弘景の『本草注』によると解熱作用がある。上端の左辺を除いてほぼ原形をとどめるが、全体に腐蝕がはなはだしく、墨痕は追いにくい。

■研究文献情報

(21)「牛膝(ゴシツ)」


詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDD64000112
木簡番号1735
本文牛膝十三斤
寸法(mm)144
18
厚さ4
型式番号031
出典藤原宮4-1735(木研11-34頁-2(24)・飛9-10下(58))
文字説明 
形状上削り、下削り、左削り、右削り。
樹種ヒノキ科#
木取り板目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDD64
内容分類付札
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明四周削り。

「牛膝(ゴシツ)」は、ヒユ科の多年草ゴシツの根に比定される。『本草集注』草木上品、『本草和名』草上に「為乃久都知、都奈岐久佐」、『医心方』に「為乃久都知、川奈岐久佐」とみえ、『延喜式』典薬寮に、山城など十七箇国の年料雑薬としてみえる(45山城年料雑薬条など)。

■研究文献情報

(22)桃人(仁)(トウニン)」

詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDD64000102
木簡番号1752
本文桃人七升
寸法(mm)81
18
厚さ4
型式番号032
出典藤原宮4-1752(木研11-34頁-2(26)・飛9-10下(60))
文字説明 
形状上削り、下削り、左削り、右削り。
樹種ヒノキ科#
木取り柾目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDD64
内容分類付札
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明四周削り。
桃人(仁)(トウニン)」は、バラ科の落葉小高木桃(トウ。和名モモ)または山桃(サントウ)の種子に比定される。『本草集注』果下品に「桃核」、『本草和名』果・『医心方』に「桃核○毛〻」、内閣文庫本『延喜式』典薬寮に「桃仁○モヽサネ」とみえ(3中宮臘月御薬条)、『延喜式』典薬寮に、山城など四十一箇国の年料雑薬としてみえる(45山城年料雑薬条など)。藤原宮跡東面外濠SD一七〇(第二七次調査)から「桃人一升」と記した木簡が(『藤原宮木簡三』一一〇八)、藤原宮跡北辺地区から「桃子一二升」と記した木簡が出土している(奈良県『藤原宮』七七号)。

■研究文献情報

(23)「流(硫)黄(リュウオウ)」

詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDZ64000101
木簡番号1730
本文□流黄一□
寸法(mm)108
22
厚さ3
型式番号032
出典藤原宮4-1730(木研11-34頁-2(28)・飛9-10下(62))
文字説明 
形状上削りヵ、下削り、左削り、右削りヵ。
樹種スギ△
木取り柾目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDZ64
内容分類付札
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
木簡説明上端・右辺削りか、下端・左辺削り。

「流(硫)黄(リュウオウ)」は、鉱物性の生薬で、硫黄(イオウ)のこと。『本草集注』玉石中品に「石流黄」、『本草和名』玉石中に「由乃阿加」、『医心方』に「石流黄○由乃阿和」、『和名抄』に「流黄○本草䟽云、石流黄焚石液也。和名由乃阿和俗云由王」とみえ、『延喜式』典薬寮に、相模・信濃・下野各国の年料雑薬としてみえる(57相模年料雑薬条・66信濃年料雑薬条・68下野年料雑薬条)。内濠SD一四〇〇から、硫黄が出土している。『延喜式』典薬寮によると、左右馬寮に馬薬として年六升四合が支給されていた(24馬寮雑薬条)。『同』左右馬寮に毎季「硫黄一升六合」を官に申して請受けよとみえ、その数量は一致している(35馬薬条)。

■研究文献情報

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