『木曽路はすべて山の中である。』
この有名な冒頭文ではじまる「夜明け前」の作者の島崎藤村の出身地は馬籠宿、「中山道」の43番目の宿場である。この「馬籠」の地名の由来を考えることもなかったが、律令時代の資料には「馬込」と記述する例を見る。文学愛好者ならば、尾崎士郎・宇野千代・石坂洋次郎、川端康成、室生犀星、山本周五郎・北原白秋・萩原朔太郎などの多数の文人が居住した東京大田区の「馬込文士村」を思い浮かべる人も多いかもしれない。その「馬込」である。東京にある「駒籠」や「牛込」も、同様である。
浅学にして、その大田区馬込の地名の由来を知らないが、歴史地理学の研究成果に目を見張る。馬込・牛込が古代官牧制に遡るのは、『続日本紀』文武4年3月条の
*「馬籠考ー古駅址想定の手掛かりとして」『信濃の歴史と文化の研究』黒坂周平和先生の喜寿を祝う会編、2,信毎書籍印刷、1990年
がある。
駅には馬が配分され、その定数は大路が20疋,中路が10疋,小路が5疋であった。しかし駅使がいない時もあれば、あるいはその定数すべてを必要としない時もあっただろうから、非番の馬を放牧しておく場所が必要であった。それが馬込であり、それは通例谷間に設置される。
したがって、中山道の馬籠にしても、想定すべきは近くに設置された駅である。その駅で非番の馬を放牧したり、あるいは治療すべき馬を置いていたことも想定してよいかもしれない。
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