2025年7月8日火曜日

日本の研究、アメリカの研究

 日本とアメリカの研究スタイルの大きな差は、originalityの有無だと要言できよう。

「世界で初めて」が最重要のモットー。誰よりも早く、世界に発信し、世界から認定されるかの競争がアメリカスタイルである。だからこそ、誤っても当然。むしろ旧説より以下に有益な説を発表したかが重要視される。

世界で初めて発見したとか、世界で初めてその矛盾を発見したとか、世界で初めて論理的ミスを指摘したとか。

逆な言葉で言えば、アメリカでは「猿真似」や「二番煎じ」ほど嫌われる研究手法はない。

松江藩の参勤交代ルートーー3泊4日(松江から姫路までの出雲街道)

属に「出雲街道」と呼ぶ交通路がある。それこそ松江藩の参勤交代路である。

出雲街道のルート
松江城下-出雲郷宿-安来宿-米子城下-車尾宿-溝口宿(七里茶屋)-二部宿-根雨宿-坂井原宿-新庄宿(佐藤本陣)-美甘宿-勝山城下-久世宿-坪井宿-津山城下-勝間田宿(木村本陣+下山本陣)土井宿-佐用宿-三日月宿-千本宿-觜崎宿-飾西宿-姫路城下コース

なんとそのコースを松江藩の一行は3泊4日で走破した。籠に乗る藩主もさぞや大変な道中であっただろう。急ぎ足で駆け抜けるわけであり、4人で担ぐ「長柄」籠の揺れは甚大であったからである。

姫路から先は山陽道・東海道を経て江戸に至るが、それにしても諸経費倹約の旅は忙しい。


なお、本陣には、

第1回先触れ:50日以前

第2回先触れ:2日前

の二回にわたって、事前サーベイが行われ、念には念を入れた準備体制が整えられた。


ちなみに、江戸から国元への帰国届けに言及しておきたい。


一般的な流れは、下記の通り

    登城願いの提出:藩邸から幕府に登城の意向を伝える
  1. 登城日決定:幕府から登城日が指定される
  2. 登城・謁見:江戸城で将軍に拝謁し、暇乞いを行う
  3. 帰国準備:藩邸で荷物整理、随行者の編成
  4. 出発:江戸を離れ、国元へ向かう


寛政15年の日出藩主の場合では、「木下俊懋日記(第11代藩主) 」によると

①4月24日、幕府老中戸田氏教(大垣藩第7代藩主)らからの奉書が到着、日出藩上屋敷所在地:現在の東京都港区虎ノ門一丁目9番地付近、安政6年「分間江戸大絵図」参照。
明日の五つ半(午前9時ごろ)の江戸城登城の命

②4月25日卯の刻(午前6時ごろ)、藩主登城

③将軍家斉から「よきに計らえ」( 「在所への御暇」)を拝受し、直ちに帰国準備に着手。

2025年6月27日金曜日

百済の亡命者、大唐天兵中軍副使・右金吾衛将軍・上柱国・遵化郡開国公勿部玽

 小野勝年先生の論文を拝読し、以下の事実に接した。学恩に感謝したい。

中国山西省太原市の天龍山石窟には、造像記「右金吾衛将軍勿部玽功徳記」がある。この記文に関して、小野先生によると、すでにMarylin M.Rhie氏による英文での紹介もあるという(未見)。

 そして活字に翻刻されたものとして、小野先生は『金石萃編』巻68を紹介されているので、誰にもアクセスできる記文である。

 この記文によると、石仏を寄進したのは大唐天兵中軍副使・右金吾衛将軍・上柱国・遵化郡開国公勿部玽、本枝東海」であり、「内子楽浪郡夫人黒歯氏、即大将軍燕公之中女」であった。神龍2年(706)から造営し、はじめ石窟内に三世仏像(釈迦・阿弥陀・弥勒)のほかに諸賢聖像を製作し、神龍3年(707)8月に完成したという。碑文は景龍元年(707)に建立されたという。

 660年に唐・新羅連合によって、百済が滅亡したが、それによって日本へ渡来した百済人の研究は相当に進んでいるが、その反面、唐の捕虜として百済人にかんしては ほとんど研究がなかった。

2025年6月26日木曜日

原正一郎京都大学名誉教授の地域研究論が卓抜

 

「人文学と情報学」を連結した原正一郎京都大学名誉教授のHPを拝見した、

下記の文は卓抜。特に、「地域を理解する知的体系として展開されてきた地域研究は,自立的な地域社会の再生と環境の時代を迎え,グローバルとローカルをリンクしながら地域をデザインする学問への脱皮を迫られている」の問題認識に、共鳴・共感する。



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地域を理解する知的体系として展開されてきた地域研究は,自立的な地域社会の再生と環境の時代を迎え,グローバルとローカルをリンクしながら地域をデザインする学問への脱皮を迫られている.本研究の成果は,地域研究が立脚する「地域の知」を拡大し,それらを柔軟に共有・活用する情報学的機能を提供する.また,京都大学は世界有数の「地域の知」を蓄積しており,これらに対する社会や研究者のアクセスと利活用を促進する.さらに,政府や産業界が推進し学術情報の潮流でもあるオープンサイエンスの枠組みにも合致している.学術的意義および社会・経済・文化的意義が高いと考えている.

情報学を基盤とした地域研究の展開

地域研究に関わる大量の情報がWeb上で流通している.このビッグデータを人手で収集・分析することはもはや不可能である.そこで統計や機械学習の手法を適用して,ビッグデータの分析と可視化を試みる.また計量モデルを利用し,収集したデータを組み合わせることで,地域を「計量的に語る」ことを試みる.

意義等:ヒトやモノが高速・広域・大量に移動する21 世紀においては,たとえ一地域の紛争・疾病・災害であっても,それは国境を超えて周辺地域に大きな影響を及ぼしている.このような時代において,事件や問題が発生してから調査するのではなく,予測に基づいて対策を提案するようなアクティブな人文社会科学の創生が必要である.そのためには,ビッグデータを利用した人文社会科学と自然科学の学際研究の革新的な展開が必要である.

学術データの長期保存・活用に関する研究

データベースに蓄積されたデジタルデータにアクセスするには,そのデジタルデータに関する情報を記述したメタデータが必須である.本研究所が運営する地域研究情報基盤は,学内約100の地域研究デジタルデータとメタデータベースを収録し,国内外7機関61のDBの統合検索を実現するなど,地域研究に関する国際的な情報拠点となりつつある.ところが,多言語・多分野の地域研究ビッグデータの高度利用を実現するには,人工知能等を駆使した高度情報処理が必要であり,そのためには,メタデータの意味(メタデータスキーマ)をコンピュータが解釈可能な知識としてネット上で共有する機能が不可欠である.本研究では,そのような機能を持つメタデータスキーマ・データベースを構築する.

意義等:多くの学術リポジトリにはメタデータスキーマが保存されていないので,データの長期利用は困難である.デジタルデータの長期利用に関する研究は未踏領域であり,また日本は欧米の後塵を拝しているが,本研究は,そのブレークスルーとなる.


2025年5月25日日曜日

伝説のJR新宿西口へ

1968年10月の新宿騒乱事件、翌年1969年1月の東大安田講堂占拠事件などの一連の事件をマスコミなどで見聞した私にとって、今を振り返ると、私の人生の底流に脈々と息づいているかのようである。その事件は私の学生時代の前のレガシーであった。
 本日、何十年ぶりかでJR新宿駅西口地下通路を通った。JRから私鉄に乗り換える道は改築中であったので、殺風景な工事壁に取り囲まれていた。
 あの時、国際反戦デーを期に新宿駅西口に集った学生数を知らないが、テレビニュースではシュプレヒコールが飛び交い、ジグザグ状のデモ行進、そして何よりも若者によるフォークソングの歌声も何もかも、新宿駅西口にはない。
 目的地に向かう人々の急ぎ足だけが鳴り響いていた。

 だからこそ、私の脳裏に深く刻まれた楽曲がある。
   「友よ」(岡林信康)「手紙」(岡林信康)
    「青年は荒野をめざす」(フォーク・クルセダーズ)
      「イムジン河」
    「インターナショナル」
    「機動隊ブルース」
などなど。
 若者の声は、そして若者の行動は、さらには若者の時代を揺り動かさんとした熱情はどこへと自分自身にも言い聞かせた。とはいえ、先の歌の歌詞はもう忘れたので、歌えない。

ましてや歩行困難で、デモの隊列を組むなどは不可。




2025年5月5日月曜日

韓国語の謙譲表現

 日本語の「はべる」とか「候ふ」などに類する表現が、韓国語に見いだせる


「為白乎」とか「為乎」などである。


これらの語句は「自らを低めて、相手に敬意を表する表現」である。

2025年3月23日日曜日

九州大学附属図書館 春日政治・和男文庫所蔵『金光明最勝王経』(石山寺旧蔵)が、国の重要文化財に

 九州大学附属図書館 春日政治・和男文庫所蔵『金光明最勝王経』(石山寺旧蔵)が、国の重要文化財に指定された。

春日和男先生の遺徳を永久に讃えたい。



是非ともに参照して欲しい<紀要論文>は、


(1)


(2)
石山寺旧蔵本『金光明最勝王経』である。



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