松前藩のアイヌとの交易収入
1,直轄領アイヌ交易 1000から2000両
2,鷹代金 1000から2000両
などにあるように、アイヌ交易品(鮭・鱒漁、獣皮など)と海産物販売、砂金採取などの収入があった。(寛文9年)
問題は、これらのアイヌ交易品と海産物販売などを現金に換えてくれる商人が誰であったかという点である。気候上、その当時、米穀の生産は困難であったので、自給自足はムリであった。
江戸初期には、小浜・敦賀港の豪商(船持商人)が派遣した商船(年3回)によって、その商品流通の役を担当した。東北諸藩にはマーケットが未発達であったことと、生産力が乏しい段階にとどまっていたからである。
寛永年間以降、田付家、建部家、岡田家などの近江系商人が松前に進出した。彼らは「両浜組」と呼ばれるギルドを作って、利益を保護・独占した。かれら両浜組は単に物流だけでなく、商品の松前における集荷から関西での販売までのルートを確立した。
0 件のコメント:
コメントを投稿