安曇氏が注目を浴びている。世界遺産に認定された「沖の島」遺跡群に関与したのが安曇氏も含まれていたからである。
(1)
天智元年5月、大将軍大錦中安曇比羅夫連等、率船師百七十艘、送豊□(王章)等於百済国~~
とあるように、百済救援に向かったのが安曇比羅夫であった。
(2)
召翹岐、安置於安曇山背連家(皇極元年2月条)
とあり、当時に存在した「三韓館」などではなく、百済の王子を我が家にて居住したという。
いずれにせよ安曇氏が朝鮮半島と密接な関係を有していたと考えても不自然ではない。
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