2018年4月15日日曜日

明治初めの釜山の人口は?

明治維新を迎え、対馬藩の外交権が奪われた結果、釜山にあった和館は全員立ち退きを余儀なくされた。明治9年に至り、釜山開港が決まるや、日本人は
 明治9年 男 52人 女2人 計54
であったという。翌明治10年では、計345人であったが、併合直前の明治42年の日本人は、計146147人に至った。
 併合後には、渡韓する日本人は急激に増加して、明治43年には171543人、戸数5992戸に達した。その後、大正4年には30万人を超え、大正12年に40万人を超えた

0 件のコメント:

コメントを投稿