30数年、福岡市に居住してきたが、つい最近、福岡市東区に「大蔵」という地名があると知った。西鉄バスの23番が「大蔵行き」だったからである。ところが、その「大蔵」の地名が「オオクラ」ではなく、「オオゾウ」であると知り、また又、驚き。「オオクラ」であれば、「大きな蔵」が存在したと推測できるが、「オオゾウ」と読む限り、その説は放棄すべきだろう。
そこで思い出すのは、『令義解』巻40の「喪葬令」である。
「凡三位以上、及別祖氏宗、並得営墓、以外不合、雖得営墓、若欲大蔵者聴」
この記事によって、「オオゾウ」が墓に関連する用語であると知るに違いない。つまり、中世以前、大蔵地区は「墓域」であったと想像できる。
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