2018年4月13日金曜日

『朝鮮医語類集』

明治27年6月に刊行された『朝鮮医語類集』がある。鈴木祐三著。朝鮮語223語を収録し、日本語と英語を付す。労作。

碩学 柳希春

碩学 柳希春の声望は高く、宣祖の命を受けて、宣祖7年10月に四書五経吐釈が下った。しかしながら全編の完成に至らず、宣祖9年5月に『新増類合』とともに宣祖に上達された『大学釈䟽』が唯一であった。

江戸時代『高麗史』の購入価格

加賀藩主松雲公前田綱紀は愛蔵の書物を多数有ったという。その大半は尊経閣文庫に引き継がれているが、残念ながら『桑華書志』にのみ伝わる本がある。

「高麗史百三十九巻 朝鮮鄭麟趾等奉教撰
 右高麗史七十二冊、元禄辛未閏八月下旬感得之」

とあり、その下にメモ書きがある。

「能勢友進媒之、アタイ金壱百両」

とある。松雲公の購入ルートは、対馬藩ー倭館であり、私貿易品の一つであった。

儒胥必知の成立は?

私蔵の儒胥必知は、いつ刊行されたのであろうか。たまたま立ち寄った全州の骨董品店で、告目や族譜などとともに数点購入した中の一点であった。だれが、いつ、なぜ編纂したか不明だが、前間先生によると、哲宗朝頃の刊行であると言う。
拙蔵の本はくたびれが目立ち、相当の使用頻度があったと想定される。

2018年4月2日月曜日

「てんぷら」とは?


「てんぷら」とは?

漢字で天麩羅とあっても、その意味の理解は不可能である。京山の『蜘蛛の糸巻』には、この名付け親が京伝であったとある。ところが美食家であった京伝の『荏戸自慢名産杖』や『五人切西瓜斬売』などに、天麩羅は見当たらない。
 『歌仙の組糸』(寛延元年)には、
  「てんぷらは何魚にても饂飩の粉まぶして油にて揚る也」

安曇氏と朝鮮半島


安曇氏が注目を浴びている。世界遺産に認定された「沖の島」遺跡群に関与したのが安曇氏も含まれていたからである。
(1)   天智元年5月、大将軍大錦中安曇比羅夫連等、率船師百七十艘、送豊□(王章)等於百済国~~
とあるように、百済救援に向かったのが安曇比羅夫であった。
(2)   召翹岐、安置於安曇山背連家(皇極元年2月条)
とあり、当時に存在した「三韓館」などではなく、百済の王子を我が家にて居住したという。
 いずれにせよ安曇氏が朝鮮半島と密接な関係を有していたと考えても不自然ではない。

松前藩のアイヌとの交易収入


松前藩のアイヌとの交易収入
1,直轄領アイヌ交易 1000から2000
2,鷹代金 1000から2000
などにあるように、アイヌ交易品(鮭・鱒漁、獣皮など)と海産物販売、砂金採取などの収入があった。(寛文9年)

問題は、これらのアイヌ交易品と海産物販売などを現金に換えてくれる商人が誰であったかという点である。気候上、その当時、米穀の生産は困難であったので、自給自足はムリであった。
江戸初期には、小浜・敦賀港の豪商(船持商人)が派遣した商船(年3回)によって、その商品流通の役を担当した。東北諸藩にはマーケットが未発達であったことと、生産力が乏しい段階にとどまっていたからである。

寛永年間以降、田付家、建部家、岡田家などの近江系商人が松前に進出した。彼らは「両浜組」と呼ばれるギルドを作って、利益を保護・独占した。かれら両浜組は単に物流だけでなく、商品の松前における集荷から関西での販売までのルートを確立した。