2022年4月24日日曜日

5日清川太平次と同道、丸山の茶屋井筒屋で唐人の酒宴に参加、周壬禄、費晴湖と筆談。  西游日簿

 

岩瀬文庫蔵書
目録データ 和
函番号(資料番号)
183-11 
旧書名
西游日簿 
数量
単位
冊 
書名
西游日簿  
書名ヨミ
サイユウニチボ 
書名の備考
原題簽存(左肩無辺、紅色料紙)。内題なし。 
版写
版(複製) 
書型
中横 
原装・改装
原装 
丁数
59 
寸法
14.2/20.2 
編著者
春木南湖 
編著者ヨミ
ハルキナンコ 
成立
序跋奥書等なし。後表紙見返に複製の刊記あり、大正15年5月印刷・発行、編輯兼発行者 山田清作(東京市牛込区富久町八十四番地)、印刷所 〈株式会社〉審美書院(東京市京橋区新肴町十三番地)、発行所 米山堂(東京市牛込区富久町八十四番地)刊。稀書複製会第四期第十九回。「印行五百部之内第二一一号」の朱印(二一一は墨書)。 
成立西暦
1926 
内容
自筆本のコロタイプ版(玻璃版)複製。30際の天明8年9月、大坂を出発、長崎に遊び、伊勢長島に帰着するまでの絵入り旅日記。漢字かなカナ交じり。一部の絵には彩色刷入り。9月7日大坂の蒹葭堂主人と別れ暮過、渡海場兵庫屋より乗船、順風で8日朝八ツ時兵庫着。播州加古川泊。9日尾上社、石室殿、高砂、曽根の天神、姫路福中町灰屋四郎兵衛泊。10日有平(有年)新屋伊八泊。11日三石で「奥州秀平天駒ノ場」の芝居。藤井駅新シ屋利兵衛泊。12日二本松で休、岡山浦上兵右衛門(玉堂)泊。13日備中ヤ安之助宅で違棚と襖に山水図を描く。箕浦陸次(池田内蔵侯臣)、龍潭、浦上、安之助と酒宴。14日吉備津宮、雲国寺、三軒茶屋で休、藤ノ棚で休、矢掛川茂宇兵衛泊。15日備中七日市休、カンナベ駅で故郷ノ人司馬江漢に逢い同道。今津藤屋源助泊。16日ホウシ山を越え尾ノ路より上舟、宇島に掛かる。17日厳島参詣、「紙合羽ヲ着シテアルケバ鹿コレヲクハントス奈良ノ丁ノ如シ」「宗(宋)紫石ノ画孔雀ニインコノ絵アリ」。宮島市中イヨヤ久兵衛泊。18日風景を写すという司馬氏と別れ上舟、玖波駅に着、周防関戸、岩国錦帯橋、柱野駅大藤屋市松泊。19日中ノ峠、玖河本郷駅、高森駅、周防徳山毛利石見守様家中長沼権右衛門泊。20日トン田駅、富海駅、宮市駅、湊、小郡駅竹屋吉郎兵衛泊。21日山中駅、舟木駅、厚狭市、吉田駅万屋宇吉泊。22日小月駅、長府駅、阿弥陀寺、下関、センバ屋より乗船、小倉大コクヤ九兵衛で休、境丁綿屋喜兵衛泊。23日黒崎、飯塚泊。24日冷水峠、大宰府天神、原田泊。25日轟木駅、佐賀御城下問屋作兵衛泊。26日牛月、小田、塚崎、嬉野駅大和屋権兵衛泊「温泉アリ入甚妙湯ナリ」。27日彼木、大村駅松ノ屋甚助泊。28日ヒノ尾峠、日見峠、(以下は影印あり)暮七ツ時長崎西築丁服部甚蔵方に着。29日清川栄左衛門に「御前御画ヲ華人ニ鑑定ヲ頼」。10月朔日唐船を見、大須寺、丸山川崎屋、長崎山清水寺、崇福寺。夜清川太兵衛来、「秋谷へ御前之書画見せ候処甚歓シ由申ス」。2日清川太兵衛の家来となって唐人屋敷を訪ね張秋谷に逢、筆語、書画の弟子となる。5日清川太平次と同道、丸山の茶屋井筒屋で唐人の酒宴に参加、周壬禄、費晴湖と筆談。6日江戸丁油屋庄右衛門殿平船に乗り阿蘭陀船を見る。7日京長左衛門(姓京名璠字伯璵号扶丘)と知人になる。(長崎や唐人の言葉や風俗の記事あり、省略)。15日毛利和泉守(豊後佐伯藩主毛利高標)侯臣関谷善左衛門と知人になる。「甚ケンキノ人ナリ」。19日阿蘭陀屋敷を見物、「コンハンヤト云所アリ是ハ阿蘭タ台所ナリ色々ノタヘモノアリ」。「御前之御書」に程赤城の鑑定書が来る。20日司馬江漢が来る。21日費晴湖に十時梅厓より頼まれた扁額を頼む。26日長崎発足、諫早駅古庄野兵衛泊。27日嬉野泊。28日佐賀御城下長崎屋喜左衛門泊。29日轟木駅で石州浜田へ漂着した朝鮮人14人に逢う。原田佐賀屋工七泊。晦日飯塚泊。霜月朔日小倉御城下湊屋泊。讃州の沙門肥後探海と同宿。2日舟場より乗船。同船に〈京三条室丁〉本屋和泉内岩蔵と〈同〉同所利兵衛あり。赤間泊舟。8日下ノ関を出帆、上ノ関着。13日京風のため鞆で上陸、陸行。福山、四日市問屋重兵衛泊。14日岡山丸上町備中屋安之助着。15日備中屋で金屏風一双に米家山水を描く。淡河興春居宅で夜宴。16日出立、三石山口清兵衛泊。17日有年駅より赤穂まで舟行。片嶋より室ノ湊へ山越え、姫路灰屋四郎兵衛泊。19日兵庫手嶋屋泊。20日尼崎より川舟で大坂蒹葭堂着。21日橋清斎の催により大坂橘通五丁目大善亭で画会。23日銅座田中源次右衛門に行く。24日百軒丁油屋冬至会に蒹葭堂、林眉軒同道で行く。26日大坂出立、四ツ橋大仏屋より乗船、淀川夜舟。27日黄檗山、伏見海道、草津泊。28日関寉や泊。29日長嶋御城下着。一部の絵には「子順写」とあり、諸事を周旋した長崎人、林次郎平(名貞字子順号眉軒)の助筆。巻頭に男南溟筆の南湖肖像画の写真図版あり(『稀書解説』によれば、原本は亡佚、写真の複写)。 
備考
練色表紙。『稀書解説』第4編によれば、原本は春木南湖後裔の高橋南湘(京都)蔵。原本の巻頭13丁は破損と汚損のため本文のみを活字版4丁に収め、図画は省略する。原本のうち白紙のまま残された箇所は、そのまま白紙とする。○『夢境応酬』(149-68)参照。○10月14日条「唐人テウツヲ朝ツカウ時ヲカイヲ初メニシテシタカキニテカキメンホンノ中ニハキコミ其中ノ宜キ水ヲ手ニウケカヲニアテ手ハシツトシテ置顔ヲ廻シ候テ洗イ申候也」「唐ニテ墨候{カン}トテ筆建ノ中ニ猿ノ小サキヲ置ク是ハ墨ヲスル音ヲキヽテ筆建ヨリ出テモノカキシマウ時墨ヲナメテ仕廻ウ尤墨ヲシキトシ居候ヨシ唐国ニテ名硯ヲ持人ハ必是ヲヤシナイ置ヨシ周壬禄是ヲ申ス然モヨウイニハモトメニクシ」。 
資料所蔵機関の名称
西尾市岩瀬文庫
資料種別
08地理 
資料種別詳細
2日本地誌 
大分類
1和書
和分類1
> 08地理
和分類2
> 2日本地誌4遊覧遊歴2遊歴08山陽九州

天明8年10月29日、朝鮮人漂流者16名とすれ違う

 29日轟木駅で石州浜田へ漂着した朝鮮人14人に逢う

文禄の役将来朝鮮本ーー榎健斎ーー皇朝名臣言行録・東垣十種・医家秘伝・加減十三方・性理字義

 医として浮田氏に仕えた榎氏五世の祖健斎が壬辰之役で朝鮮に渡海、持ち帰った朝鮮板書籍(皇朝名臣言行録・東垣十種・医家秘伝・加減十三方・性理字義)と什具(渾天儀・屏風・銅鐺)、筆蹟類(三大字「既白軒/万暦丙申立冬日古杭兪承宗為日本健国医書」、「東滸酔贈健斎詩/一別悠々夢屡円 帰来不耐待跫然 一家苦被殊方悩 酔逐牛窓侠少年)の記録あり

中国船、千葉へ漂着ーー「安永九年子五月上総国勝浦湊房州知倉沖辺南京船掛…筆談」

 

岩瀬文庫蔵書
目録データ 和
函番号(資料番号)
149-80 
旧書名
見聞随筆 
数量
単位
冊 
書名
見聞随筆  
書名ヨミ
ケンモンズイヒツ 
書名の備考
書名は原表紙左肩書外題による。 
版写
写 
書型
半 
存欠
全7巻 
原装・改装
原装 
丁数
327 
寸法
22.5/15.8 
編著者
東条有儘 
編著者ヨミ
トウジョウユウジン 
成立
奥書等なし。筆者所用印と思われる蔵書印より見て、筆者は名古屋藩士で俳人の東条有儘。第1冊原表紙右下に後筆墨書「全部七巻〈甲より/庚迄〉/但庚ハ半ニしてやむ」。 
成立推定
近世中期写 
刷り書写の態様
自筆稿本。 
内容
主に和歌や俳諧に関する見聞を記した雑記随筆。明和初年頃より漸次書き継がれたもので、末尾は天明6年の記事までで中絶する。各冊の内容の一部、①:「宝暦七年中為門弟堂上御稽古被勧而被詠月々之和歌」(同年2月より12月まで、冷泉為村門の月並題と為村の題詠集)。「明和二年八月十六日御会当座」。「俳諧百一集」。高橋麦秋妻一紅の句集。「結願御着到和歌」(享保6年3月3日、烏丸為栄・冷泉為久詠)。「宝暦十四甲申年四月朔日朝鮮人来朝之節起川舟梁番所ニテ水野源猶忠筆談」(通信使一行の「司光鋒銃士」某との筆談)。「読方教訓抄」(有栖川職仁親王著、歌論書)。「明和五年子正月廿六日 当座御会」。「明和五年子三月十八日柿本神影供 公宴御会」。「宇津保物語巻の次第」(「東武歌学者萩原宗固よりしるし来せし物也」とあり)。②:明和3年春、宮部孫八義正と礒野丹波守政武の和歌。「明和五子とし狩野栄川法眼高深遠の山水を書せし三幅に為村卿自詠の讃」。「明和六丑年正月廿四日 公宴御会始」。「東海道鞠子駅長横田三左衛門所持後水尾院上皇御震筆/さても猶とはれぬ秋の夕は山雲吹かせは峯にみゆらん/仮名遣ヒトモ此通ナリ表具中茶地桐鳳凰錦/上下紺地菊桐錦」(全文)。「藝州家霞ヶ関屋敷常居間庭山風景之記同家中森司馬書之」(藝藩侍中郎臣杠效撰漢文「積翠園記」)。「用薬須知後編正誤附録」(平安春菴和田礼子序輯録「七種若菜考」)。前田利家従弟前田慶治の逸話。成瀬内蔵頭藤正太の詩歌。明和9年、横井也有の歳旦。頓阿四百回忌追善歌集(奥に「明和八辛卯歳三月 〈洛東双林寺〉尾陽歌輩」、巻軸は行登の詠)。明和8年霜月21日、行登等の歌集。「本邦門前町総見禅寺什物額之讃」(安土城の額)。③:「住吉社御奉納和歌」(明応乙卯藤原朝臣実隆序、短冊帖の写し)。「明和辰(9年)春宗睦公好君様御初賀之和歌書抜」。「明和辰秋唐本屋何かしかたてうす赤栴檀なるを冷泉澄覚見給ひて藤尾検校に給ふ」(長歌)。「正徳辛卯十一月三日/内殿賜燕楽於朝鮮使者坐間筆語/兼筑後守源朝臣君美」(筆談)。鳥追歌の歌詞。「明和七丑年五月五日夜東海道興津浦江朝鮮船漂着筆談写」。「安永五年二月十日仙洞和歌御会」。④:「兼好法師讃/夕顔巷交人賛/嘗来脱俗塵 世路岐岨険/灯火共相親 書中対古人」。「行脚掟 はせを翁」。澄月の歌集。「安永申(5年)冬初雪即興 萩原宗固」。宗祇水の歌集(特進光栄序)。宗長紀行の抜粋(高香(有儘)跋)。「熱田の社頭の花を見てよめる 盤斎/神のます森のさくらをまほろしにあらねと春はたつねみるかな/立かへりこゝにみやらんもろこしの空にきえにし花のしら雲」。「職人歌仙 光広卿選」。「内藤閑水別野(墅)楼之記 正親町大納言藤原実連卿」(和文「掬翠楼記」)。「安永八年六月廿四日日野家当座」。⑤:「甲斐国峡中猨橋碑銘」(鳴鳳卿撰)。「安永九年子五月上総国勝浦湊房州知倉沖辺南京船掛…筆談」。「甲州路紀行 水野猶忠」。「追悼文并和歌 川合一叢」(大野氏安暉追悼)。「尾張田歌」(奥に「右妙法院宮御珍蔵田歌古文書壹幅天明二年冬平松三位平時章卿臨写シ来ラレシヲ写」)。⑥:「天明三卯年六月十六日横井暮水翁病卒辞世〈行年八十二歳〉」。「天明三卯年ヨリ月次稽古題」(日野資枝門)。⑦:「天明六年午二月十三日将軍家家治公五十寿齢御賀」(公家等の歌集)。「天明六年丙午五月津嶋妙延寺住僧日忍六十賀」(公家及び諸国諸家の歌集、「〈同(尾州) 東条退隠〉玄淵」の歌あり)。某人の六十賀の歌集(冒頭は「〈鳴海 下郷次郎八〉寛」、「〈尾州 東条覚左衛門〉高忠」の歌あり)。 
旧蔵印識語
印記「東條家蔵」(朱魁星印)・「鼓腹菴印」(朱方印)・「行壴」(朱白文小方印)「之印」(朱小方印)・「南山寿」(朱白文小長方印)・「弾琴長嘯」(朱方印)・「清風隔世塵」(朱方印)・「染古舎」(朱白文飾枠印)・「玄淵斎」(朱白文方印)・「飛龍蔵印」(朱楕円印)・「簾外青山」(朱円印)・「懶読書只愛眠」(朱白文方印)・「偃武修文」(朱白文方印)・「王褚不改其日」(朱白文方印)。「行壴」印の壴は止の下に豆の字体。或いは登か。壴は鼓の古字。また豎に同じ。 
備考
原装唐詩表紙に覆表紙(渋縦格子刷毛目・横霞刷毛目)を付す。第1~5冊は版心下部に「○」とある四周単辺9行墨刷罫紙(匡郭内寸18.1/12.1)。第6~7冊は版心下部に「○」とある四周単辺10行薄刷罫紙(匡郭内寸18.0/13.1)。○もと第4冊を第7冊としていたが、冊番号を改める。第4冊に誤って第7冊の原表紙を付す。第4冊の第1・2丁乱丁。○東条有儘は俳人・名古屋藩士。名行登・行堅・高香。通称岡右衛門・覚左衛門。号節頭斎・節東斎。東条命雅の男。後年、中島郡花井方村に住む。天明8年5月17日没、享年未詳。著作『あやめぐさ』(明和4年成、写:鈴木半右衛門、愛知県大石田)、『類玄翁』(明和9年刊、版:洒竹、刈谷、綿屋、藤園堂)、『一叢師添削詠草』。 
保存状況種別
虫損 
保存状況程度
あり(裏打補修済)。 
資料所蔵機関の名称
西尾市岩瀬文庫
資料種別
01総記 
資料種別詳細
4随叢 
大分類
1和書
和分類1
> 01総記
和分類2
> 4随叢1雑筆

雨森芳洲『朝鮮風土記』

 岩瀬文庫蔵書

目録データ 和
函番号(資料番号)
151-139 
旧書名
朝鮮事情 
数量
単位
冊 
書名
朝鮮風土記  
書名ヨミ
チョウセンフドキ 
書名の備考
書名は原表紙左肩書外題による。内題「朝鮮風俗之事」。旧書名「朝鮮事情」。 
版写
写 
書型
大 
原装・改装
原装 
丁数
寸法
24.5/16.8 
編著者
雨森東五郎(芳洲) 
編著者ヨミ
アメノモリトウゴロウ 
成立
巻首「宗対馬侯文学雨森東五良述」。元奥書「正月廿二日/〈宗対馬守内〉雨森東五郎」。書中に「右大祖即位より当年迄三百二十九年ニ罷成り候」とあり、「当年」は享保5年に相当。 
成立推定
近世後期写 
刷り書写の態様
転写本。 
内容
対馬藩儒である雨森芳洲が、朝鮮の歴史や風俗、気風を記した書。候文体。一つ書、全8箇条。各条の概要、①:新羅・百済・高麗の三国時代より李氏朝鮮に至る略史。②:高麗滅亡の経緯。③:李氏朝鮮の創業者、李成珪の事蹟。④:明朝との君臣の礼儀を重んずること。⑤:明の太祖の指図により国号を朝鮮と定めたこと。⑥:明朝と同じく清朝に君臣の礼を行うものの、清朝は夷狄故、内心は快く思っていない様子に見えること。「日本への書翰に康煕年号を書不申候も夷狄の年号をいみ候故にも哉と被存候」。⑦:清朝以後も朝鮮では朝服と剃髪を用いないこと。⑧:朝鮮は礼儀の邦で弱国と日本人は思っているが、心得違いであること。「惣躰何れ〔の〕国にても是は強き国是は弱き国といつまても定たる国は無之事に候得は日本の武備衰へ候節になり候はゝ必其侮弄を請候事可有之よしと被存候」。末尾に「武器之事」1条あり、朝鮮では弓を第一とし、武挙の及第は専ら弓で判定すること、豊臣太閤の出兵時には鉄炮がなかったが、その後は鉄炮を用い鉄炮の上手もいること、を記す。○『雨森芳洲全書』所収「朝鮮風俗考」、及び都立中央図書館蔵『天和風聞記』所収「朝鮮風俗の事」(正月二十三日奥)と同内容。小異あり。幕府儒官林大学頭(鳳岡)の依頼により執筆提出したもの。 
備考
原装共紙表紙に覆表紙(濃紺色)を付す。半丁10行。前後表紙1丁(後表紙は覆表紙見返に貼付)・本文8丁半。所々に誤写あり。○見返に墨書附箋「朝鮮事情/対馬 雨森東述/萩原裕評閲」(水色刷飾枠罫紙、唐紙)、巻首に同筆の附箋「風俗ノ事」。萩原裕は江戸の漢学者萩原西疇。明治31年没70歳。同人による朱書校訂書入あり。 
資料所蔵機関の名称
西尾市岩瀬文庫
資料種別
07歴史 
資料種別詳細
3外国史 
大分類
1和書
和分類1
> 07歴史
和分類2
> 3外国史1東洋史

天保7年竹嶋(欝陵嶋)に渡海し死罪となった寺社奉行預りの事件。

 岩瀬文庫蔵書

目録データ 和
函番号(資料番号)
103-153 
旧書名
机の塵 
数量
83 
単位
冊 
書名
机の塵  
書名ヨミ
ツクエノチリ 
書名の備考
原題簽存(左肩双辺ないし無辺)。 
版写
写 
書型
半 
存欠
全83巻 
原装・改装
原装 
丁数
7435 
寸法
24.0/16.7 
編著者
和田長兵衛 
編著者ヨミ
ワダチョウベエ 
成立
序跋等なし。書中所々に付記「諸君珍書を見るを好といへとも一看過ぬれは捨て不返是世の流弊なり此書しかる事なく速にかゑし玉ん事希」(本文同筆、文言に小異あり)。1冊「大坂三郷…」の末に書写識語「安永九年子夏写之と有/今天保十二丑年夏写之 和田氏蔵」。3冊聚楽行幸記録の末に書写識語「天保十一子年秋/和田守有謹写」。書写数筆あり。順次書かれたものではなく、後年の増補改編あり。 
成立推定
幕末~明治写 
刷り書写の態様
原写本。 
内容
雑記随筆。各冊の内容の一部、①赤穂事件記録(詳細)。佐野善左衛門一件記録(田沼刃傷事件)。「大坂三郷御執立承伝録」(草創期の大坂の諸制度沿革と寛永11年釣鐘銘文・注釈)。天保9~10年天満堀川通水御普請記録。②宝暦年間~慶応4年の大坂御用金記録(献金者一覧等)。明治11年起業公債記録。③太閤及び大坂城に関する雑記録集。④「難波軍記」(佐々木向陽『竹山逸史』巻11・12)。⑤「漂流記」(池田藍水『船長日記』)。⑥見返題「権効秘訣 壱」、大坂の歴史雑記。近世前期の借用証文・寺請証文等古文書の写し。天王寺悲田院長吏由緒。御堂前敵討記録。雁金文七一件記録。勧進相撲。正徳5年崇禅寺馬場返り討。享保2年高麗橋妻敵討。享保9年大火。元文3年北新地五人切。延享3年讃岐の五兵衛火罪。延享3年難波橋妻敵討。延享3年日本左衛門。侠客根津四郎右衛門と俳人淡々。明和元年唐人殺し。⑦見返題「権効秘訣 弐」。安永7年岸本土佐守家来妻敵討。安永8年鰒御触。安永9年長柄の十右衛門脱獄。相撲五人掛り。寛政3年10月・翌4年5月大火。享和2年6~7月大雨洪水。享和3年盗賊庄九郎。文化6年漂流。文化12年天魔に拉致された男。文政12年道頓堀長吏小頭吉五郎等獄門。⑧見返題「権効秘訣 三」。文政・天保年間の事件。天保2年主殺し。天保6年仙石騒動。天保7年竹嶋(欝陵嶋)に渡海し死罪となった寺社奉行預りの事件。⑨天明4年佐野善左衛門一件。「明君白川公御夜話」抜書。⑩(題簽の巻数「九」、以下1宛ずれる)「薩摩風土記」。「播州高砂船頭徳兵衛渡天記」(天竺徳兵衛)。「天保四巳年河州日下村正法寺住僧角文女犯之罪によつて種ケ島へ流罪其翌年申越候書面之写し」(種子島の風俗)。「元文五申年西横堀吉野屋町辰巳屋久右衛門方変事」(豪富の炭問屋の相続をめぐる事件)。「紀矢部公断疑獄事」(漢文)等、矢部駿河守定謙事績。弘化3年大坂町奉行与力阿部幾之助一件。「古今米価録」。⑪享保9年・寛政4年大坂大火。鉄眼禅師書簡。嘉永4年江戸で藝者を奧女中に仕立て向島に遊覧した事件。「朝鮮物語」。文化5年土御門・吉田両家へ吉凶判断等禁止の申渡書。⑫朝鮮・琉球関係。天保14年大川町肥前屋八郎兵衛後家密通事件。⑬文政12年切支丹事件(京都八坂上町豊田みつき)。大塩一件。寛政年間新町遊女直江上書(遊女町華美禁止令が御触直しになる)。⑭「隠逸物語」等諸書抜書。⑮天明8年京大火。宝永4年大坂大地震。「北山寿安風吹不動之事」。「始末相続講」。⑯平貞丈「菅像弁」。入江石亭「古画論」。英一蝶資料。古筆展観控。⑰「盛衰年表」抜書。⑱嘉永6年清朝兵乱。「住吉おどりの歌」(長町暁月山西方寺の願人坊主)。⑲茶会関係(筆跡類模写あり)。嘉永5年銅版一枚刷「〈京北野天満宮〉万灯之図」(9.4/12.8)貼付。⑳嘉永7年変事。4月6日「京大火略図」一枚刷綴込。6月14日畿内大地震一枚刷3種綴込。21:古筆跡類模写。22:大火・地震関係。上田秋成和文「水夜里花」(享和2年6月晦日大雨)。町尻兼量・伴蒿蹊・龍公美の天明大火歌文。23:嘉永7年イキリス船・ヲロシヤ船渡来。大坂安治川河口固図銅版一枚刷・「ヲロシヤ国船之略図」大判一枚刷・「〈諸国大阪〉大地震大つなみ末代噺」一枚刷綴込。24:耳鳥斎絵本「かつらかさね」模写。嘉永7~安政3年茶会・道具入札関係。大坂より京都への近道。25:蜀山人詩歌。謡曲作者。里村紹巴「豊臣秀吉公江奉る書」(連歌論)。26:異国船・海防関係。27:安政2年江戸大地震関係(詳細)。一枚刷綴込。地震に関する尾張屋惣右衛門・古筆了仲(桜井屋山田八郎兵衛宛)・鈴木龍左衛門(和田長兵衛・平惣助宛)・江戸日本橋一丁目須原屋茂兵衛店(須原屋弥七名、平野屋惣助宛)書簡の写し。28・29:安政2年新内裏造営関係。「御遷幸略図」一枚刷綴込。30:赤穂浪士関係資料集。31:「大坂往古之事」。平家落人。享和元年四天王寺火事。32:安政3年3月福嶋野田村社開帳(下河辺長流歌文の写し)。安政3~4年世事。安政3年8月25日夜江戸大風高浪(山田八郎兵衛・和田長兵衛宛古筆了仲書簡の写し)。天明4年2月15日城代に招請の際に大坂の豪商が差し出した道具付。安政4年9月堂上方不行跡御咎(柳原左大弁宰相も閉門)。33:安政3年蝦夷地関係。安政5年長崎在留唐人願書。安政5年ころり関係。「人間一生入用勘定之積」(生涯費用計算)。「しら梅や北野の茶屋に角力取 蕪村」(神楽を描いた画賛の写し)。「開明節用集」。34:「明治太平記抜書」等維新の世事。35:橘南渓著『白烏雑談』抜書。「林先生茗話之内抜書」(久離・狂人作法・憤怒)。安政5~万延元年茶会記。蕪村「書画戯之記」模写。文政2年大田南畝宛重岡真兵衛書簡の写し。品川浦で鯨突留一件。三好正慶尼(奴の小万)「蒹葭堂主人之死を悼みて贈る文」。春日社に狩野守信・尚信が奉納した石灯籠の図。料理の伝書(阿州菓子師之伝)。※以下次カードに続く。 
備考
原装表紙、1~9冊:柿色、菊花二重亀甲繋(型押)、10~18・47・55~57・62冊:柳色、丸錦(型押)、19~46・49~54・58~61・63~79冊:渋(ないし丁子)横刷毛目、48冊:水色、渋横霞刷毛目、布目(型押)、80~83冊:渋横斜格子刷毛目。19冊以下は大本(25.3/18.0)。料紙薄様。32冊目阿所表紙裏に表紙屋(か)の覚書あり、四つ目綴の表紙の略図に「(縦)全尺八寸五歩/(横)七寸/(本の右下隅に)角切青/白糸/(題簽巾)一寸/(題簽長)五寸八部/(題簽下に)白砂子ふり/(本の左に)表紙裏みの紙四枚添 廿五日はや++頼よし」の注記あり(同冊の寸法は縦25.6糎、横18.1糎、題簽巾3.1糎、題簽長17.7糎、白糸綴、緑色角切)。7冊目末に別筆附記「尼清(同冊後半冒頭尼崎屋清兵衛の記事)已下は古伊助子の筆なれはいとゝあはれに覚えて/かりそめに書なかしたる水くきの跡を見るにも袖そぬれけり/于時慶応四辰年五月廿八日稲卿(2字難読)誌之」。○筆者和田長兵衛は大坂天満辺(鳴尾町か)の富裕な町人らしい。通称綿屋長兵衛。名、守有か。別号、了古・乾庵・了悦。茶事と古筆を好む。明治20年4月以後間もない頃に没したか。『諸書物目録』(101-186)参照。 
資料所蔵機関の名称
西尾市岩瀬文庫
資料種別
01総記 
資料種別詳細
4随叢 
大分類
1和書
和分類1
> 01総記
和分類2
> 4随叢1雑筆

竹島・隠岐風土記録

 岩瀬文庫蔵書

目録データ 和
函番号(資料番号)
72-11 
旧書名
隠岐国風土記 
数量
単位
冊 
書名
隠岐国風土記  
書名ヨミ
オキノクニフドキ 
版写
写 
書型
大 
原装・改装
原装 
丁数
19 
寸法
27.1/19.7 
編著者
尾関意仙 
編著者ヨミ
オゼキイセン 
成立
奥書「先大概右之条々之通ニ御座候而気運之違は格別之事ニ候得共人間世斗は替事無之候此壱冊隠岐之手鏡と可被思召候」。元書写識語「右此書は京都之医師尾関意仙有子細而宝永六己丑年率爾ニ殺尼某ニ付而其節被宥死罪隠岐国江配流行年弐拾六歳之時也其後在嶋廿八年之後元文改元丙辰年九月八日勢州神戸住人冨永医江被寄候を写置候者也/于時元文二年十月十五日記之畢」。 
成立推定
近世後期写 
刷り書写の態様
転写本。 
内容
隠岐国の地理・制度・風俗・生活・産業等を記した地誌。候文体。流罪人による筆記で、同地の流人の状況についても記す。 
旧蔵印識語
羽田野本。 
備考
竹島の記事あり。 
資料所蔵機関の名称
西尾市岩瀬文庫
資料種別
08地理 
資料種別詳細
2日本地誌 
大分類
1和書
和分類1
> 08地理
和分類2
> 2日本地誌3地方誌5山陰道